115: 米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊 1/4 04/08/04 06:51 ID:eQ+C8rih
=太平洋戦争で最初の玉砕の場所=
太平洋戦争中の昭和17年6月、日本軍はミッドウェー海戦と併行して、
アリューシャン列島のアッツ、キスカ両島の占領作戦を敢行した。
このうち、ミッドウェー海戦は惨憺たる敗北に終わったが、
アッツ、キスカ作戦のほうはうまくいき、ほとんど抵抗らしい抵抗もないまま、両島を占領した。
ところがいざ占領してみると、これが大変な島。夏は濃霧に閉じ込められ、
冬は暴風雨が荒れ狂って、とても軍事作戦を展開するどころではない。
米軍のほうもそれを知ってか、奪回に来るわけでもなく、日本軍のなすがままにまかせていた。
しかし、1年も居座られると、さすがにおもしろくないばかりか、
「ひょっとして日本の狙いはアラスカにあるのではないか?」
という憶測が、アメリカ国民の間に流れるようになった。
地図を見ればわかるとおり、アリューシャン列島は千島列島からアラスカへ連なる島。
南太平洋での戦況が思わしくなくなった日本が、矛先を北に転じていつアラスカを襲わないともかぎらない。
つまりアッツ、キスカ島の日本軍は、アメリカにとっては喉もとに突きつけられた短刀に等しかったのだ。
そこで米軍は、昭和18年5月、1万1000人の兵をもってまずアッツ島を攻撃した。
これに対して日本軍の兵力は約2600人。
司令官のブラウン少将は、攻撃に先立ち、「赤子の手をひねるようなものだ」と豪語した。
116: 米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊 2/4 04/08/04 06:53 ID:eQ+C8rih
ところが、日本軍が水際での戦いをさけ、山岳部にこもって抵抗する戦法をとったため、
予想外の苦戦を強いられることになった。加えて寒さは聞いていた以上の厳しさ。
カリフォルニアの緑野で訓練を受けてきた兵士は、ヒヨコのようにふるえあがり、凍傷による戦闘不能者が続出した。
しかし、それでも戦力の差は歴然としている。
日本軍はじりじりと山地に圧迫され、5月30日、29人の捕虜をのぞいて、ついに全員が戦死した。
太平洋戦争における最初の玉砕である。
アッツ島を制圧した米軍の次の目標は、当然、キスカ島に向けられた。
けれどもアッツ島での思わぬ苦戦にこりた彼らは、すぐに上陸攻撃をかけることをせず、
しばらくは近海を艦隊でかためて日本軍の補給路を断ち、様子を見守ることにした。
そして兵力を3万に増強し、さらに耐寒訓練を受けたカナダ兵5000人を加えて上陸にそなえた。
これに対し、日本軍の参謀本部は、意外にもキスカ島の全兵力5639人を撤退させる方針をとった。
キスカ島の死守はむだな消耗戦になると読んだからである。
この命令はただちにキスカ島の守備隊にも打電され、これを聞いた将兵は踊りあがって喜んだ。
ただし、島の周囲には米艦隊が目を光らせている。
その間隙をどうぬって撤退するのか、見通しは決して明るくなかった。
事実、当初こころみた潜水艦による撤退作戦は効率が悪く、
一度に運べるのは80人が限度で、とても5000余人を帰還させるのは無理であった。
そこで7月12日、駆逐艦を中心とする14隻の救援艦隊を派遣し、
濃霧に隠れてキスカ湾に接岸、一気に撤収をはかる作戦に出た。
ところが皮肉にも、その日にかぎって島をおおうはずの霧がすっかり晴れて、作戦は延期となった。
118: 米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊 3/4 04/08/04 06:54 ID:eQ+C8rih
=一兵も残さなかった奇跡の撤収作戦=
キスカ島の将兵は深い絶望の沈んだ。彼らの脳裏にあるのは、アッツ島で玉砕した戦友たちの姿だった。
そこへ再び朗報が入った。
救援艦隊が再度島をめざしているというのだ。
一方、米軍のほうも、着々と上陸の準備を整えていた。
補給路を断ってあるから、守備隊の食料はそろそろ底をつくはずである。
それを待って一気に攻撃をかけるというのが彼らの算段だった。
7月26日、米艦隊のレーダーは、霧の彼方に日本艦隊らしき船団をとらえた。
そこでひとまず島の監視を解き、全艦をもって敵艦を追跡、いっせいに砲撃を開始した。
当時、日本軍にはレーダーがなく、霧に中の戦いとなれば米軍の有利はいうまでもない。
ところが、ここに不思議なことが起きた。どんなに撃ちまくっても、レーダーから日本軍の艦影が消えないのだ。
海上を見ても、艦船が炎上している気配はまったくなく、ただ味方の曳光弾だけがむなしく霧の中へ消えていく。
「これはどういうことだ?」
「まるで幽霊艦隊じゃないか…」
砲撃と追跡は29日まで続き、燃料を消耗しつくした米艦隊は何がなんだかわからないまま、
給油のためにいったん戦場を離脱しなければならないはめになった。
この幻ともいうべき艦隊がなんであったのかは、今もって謎とされているが、
キスカ島をめざしていた日本の救援艦隊でなかったことだけは確かだといってよい。
というのも、ちょうどそのころ、キスカ湾には日本の救援艦隊が到着し、撤収作業のまっただなかだったからだ。
しかもこのときは、海上全体が霧に包まれれていたにもかかわらず、
キスカ湾のみが50メートルの高さでポッカリと霧の穴が開くという好条件に恵まれた。
おかげで、撤収はわずか1時間で一兵の残もなく完了した。
119: 米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊 4/4 04/08/04 06:55 ID:eQ+C8rih
しかし、もちろん米軍はそんなことは知らない。
再度艦隊を組んでキスカに戻った彼らは、今度こそ守備隊の息の根をとめてやろうと、
まず航空機をもって40日にわたる空爆を続けた。
霧のため、成果は確認しがたがったが、出撃のたびに搭乗員は、
「地上からの対空砲火を受けた」と報告した。
これもまた不思議なことで、当時、島はすでに無人、対空砲火など上がるはずもない。
が、米軍は、それを日本軍健在の証拠だと判断した。
業を煮やした米軍は、8月15日、91隻の艦艇の支援のもとに、ついにキスカ上陸を開始した。
だが、予想された日本軍の反撃はまったくなかった。
おそるおそる前進した将兵たちが霧の中に発見したのは、
ゴーストタウンのように放棄された兵舎と3匹の子犬だけであった。
”奇跡の撤退”として、戦後まで語り草となったこの作戦は、米軍を翻弄した幽霊艦隊と、
年に一度あるかなきかの霧の穴という気象の妙の上に成立したわけだが、
おまけとして謎の対空砲火という怪奇まで生んだのである。
あるいはこの対空砲火は、島にとりついた日本軍将兵の魂魄が幽霊となって打ち上げていたのかもしれない。
ちなみに、幽霊艦隊については、
ミッドウェー海戦に敗れて沈んだ日本の機動部隊の亡霊ではないかとの噂が流れたことがある。
学研ムーブックス『奇譚集』より
=太平洋戦争で最初の玉砕の場所=
太平洋戦争中の昭和17年6月、日本軍はミッドウェー海戦と併行して、
アリューシャン列島のアッツ、キスカ両島の占領作戦を敢行した。
このうち、ミッドウェー海戦は惨憺たる敗北に終わったが、
アッツ、キスカ作戦のほうはうまくいき、ほとんど抵抗らしい抵抗もないまま、両島を占領した。
ところがいざ占領してみると、これが大変な島。夏は濃霧に閉じ込められ、
冬は暴風雨が荒れ狂って、とても軍事作戦を展開するどころではない。
米軍のほうもそれを知ってか、奪回に来るわけでもなく、日本軍のなすがままにまかせていた。
しかし、1年も居座られると、さすがにおもしろくないばかりか、
「ひょっとして日本の狙いはアラスカにあるのではないか?」
という憶測が、アメリカ国民の間に流れるようになった。
地図を見ればわかるとおり、アリューシャン列島は千島列島からアラスカへ連なる島。
南太平洋での戦況が思わしくなくなった日本が、矛先を北に転じていつアラスカを襲わないともかぎらない。
つまりアッツ、キスカ島の日本軍は、アメリカにとっては喉もとに突きつけられた短刀に等しかったのだ。
そこで米軍は、昭和18年5月、1万1000人の兵をもってまずアッツ島を攻撃した。
これに対して日本軍の兵力は約2600人。
司令官のブラウン少将は、攻撃に先立ち、「赤子の手をひねるようなものだ」と豪語した。
116: 米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊 2/4 04/08/04 06:53 ID:eQ+C8rih
ところが、日本軍が水際での戦いをさけ、山岳部にこもって抵抗する戦法をとったため、
予想外の苦戦を強いられることになった。加えて寒さは聞いていた以上の厳しさ。
カリフォルニアの緑野で訓練を受けてきた兵士は、ヒヨコのようにふるえあがり、凍傷による戦闘不能者が続出した。
しかし、それでも戦力の差は歴然としている。
日本軍はじりじりと山地に圧迫され、5月30日、29人の捕虜をのぞいて、ついに全員が戦死した。
太平洋戦争における最初の玉砕である。
アッツ島を制圧した米軍の次の目標は、当然、キスカ島に向けられた。
けれどもアッツ島での思わぬ苦戦にこりた彼らは、すぐに上陸攻撃をかけることをせず、
しばらくは近海を艦隊でかためて日本軍の補給路を断ち、様子を見守ることにした。
そして兵力を3万に増強し、さらに耐寒訓練を受けたカナダ兵5000人を加えて上陸にそなえた。
これに対し、日本軍の参謀本部は、意外にもキスカ島の全兵力5639人を撤退させる方針をとった。
キスカ島の死守はむだな消耗戦になると読んだからである。
この命令はただちにキスカ島の守備隊にも打電され、これを聞いた将兵は踊りあがって喜んだ。
ただし、島の周囲には米艦隊が目を光らせている。
その間隙をどうぬって撤退するのか、見通しは決して明るくなかった。
事実、当初こころみた潜水艦による撤退作戦は効率が悪く、
一度に運べるのは80人が限度で、とても5000余人を帰還させるのは無理であった。
そこで7月12日、駆逐艦を中心とする14隻の救援艦隊を派遣し、
濃霧に隠れてキスカ湾に接岸、一気に撤収をはかる作戦に出た。
ところが皮肉にも、その日にかぎって島をおおうはずの霧がすっかり晴れて、作戦は延期となった。
118: 米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊 3/4 04/08/04 06:54 ID:eQ+C8rih
=一兵も残さなかった奇跡の撤収作戦=
キスカ島の将兵は深い絶望の沈んだ。彼らの脳裏にあるのは、アッツ島で玉砕した戦友たちの姿だった。
そこへ再び朗報が入った。
救援艦隊が再度島をめざしているというのだ。
一方、米軍のほうも、着々と上陸の準備を整えていた。
補給路を断ってあるから、守備隊の食料はそろそろ底をつくはずである。
それを待って一気に攻撃をかけるというのが彼らの算段だった。
7月26日、米艦隊のレーダーは、霧の彼方に日本艦隊らしき船団をとらえた。
そこでひとまず島の監視を解き、全艦をもって敵艦を追跡、いっせいに砲撃を開始した。
当時、日本軍にはレーダーがなく、霧に中の戦いとなれば米軍の有利はいうまでもない。
ところが、ここに不思議なことが起きた。どんなに撃ちまくっても、レーダーから日本軍の艦影が消えないのだ。
海上を見ても、艦船が炎上している気配はまったくなく、ただ味方の曳光弾だけがむなしく霧の中へ消えていく。
「これはどういうことだ?」
「まるで幽霊艦隊じゃないか…」
砲撃と追跡は29日まで続き、燃料を消耗しつくした米艦隊は何がなんだかわからないまま、
給油のためにいったん戦場を離脱しなければならないはめになった。
この幻ともいうべき艦隊がなんであったのかは、今もって謎とされているが、
キスカ島をめざしていた日本の救援艦隊でなかったことだけは確かだといってよい。
というのも、ちょうどそのころ、キスカ湾には日本の救援艦隊が到着し、撤収作業のまっただなかだったからだ。
しかもこのときは、海上全体が霧に包まれれていたにもかかわらず、
キスカ湾のみが50メートルの高さでポッカリと霧の穴が開くという好条件に恵まれた。
おかげで、撤収はわずか1時間で一兵の残もなく完了した。
119: 米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊 4/4 04/08/04 06:55 ID:eQ+C8rih
しかし、もちろん米軍はそんなことは知らない。
再度艦隊を組んでキスカに戻った彼らは、今度こそ守備隊の息の根をとめてやろうと、
まず航空機をもって40日にわたる空爆を続けた。
霧のため、成果は確認しがたがったが、出撃のたびに搭乗員は、
「地上からの対空砲火を受けた」と報告した。
これもまた不思議なことで、当時、島はすでに無人、対空砲火など上がるはずもない。
が、米軍は、それを日本軍健在の証拠だと判断した。
業を煮やした米軍は、8月15日、91隻の艦艇の支援のもとに、ついにキスカ上陸を開始した。
だが、予想された日本軍の反撃はまったくなかった。
おそるおそる前進した将兵たちが霧の中に発見したのは、
ゴーストタウンのように放棄された兵舎と3匹の子犬だけであった。
”奇跡の撤退”として、戦後まで語り草となったこの作戦は、米軍を翻弄した幽霊艦隊と、
年に一度あるかなきかの霧の穴という気象の妙の上に成立したわけだが、
おまけとして謎の対空砲火という怪奇まで生んだのである。
あるいはこの対空砲火は、島にとりついた日本軍将兵の魂魄が幽霊となって打ち上げていたのかもしれない。
ちなみに、幽霊艦隊については、
ミッドウェー海戦に敗れて沈んだ日本の機動部隊の亡霊ではないかとの噂が流れたことがある。
学研ムーブックス『奇譚集』より
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文中にもあるが、一度目の失敗時、それでも島に向かおうと急き立てる部下を抑え、
「帰ろう、帰ればまた来られるから」と撤退を決めたのがかの木村少将。
が、手ぶらで戻ってきた少将は大本営から激しい叱責を受ける。
勿論戦果もなしにおめおめ戻ってきた不甲斐なさもあるが、米軍大攻勢が間近に迫りつつある中での焦りもあった。
しかし木村少将は意に介せずじっと機会を伺い、遂に2回目の救出に挑む。
実はこの時、再び木村少将が撤退せぬ様にお目付け役まで付けられていた。
その結果は既に書かれた通り、正に血気に逸らず目的を冷静に見据え、その為の判断を的確に下した木村少将は
天すらも味方につけたのである。
一方キスカの海軍はさっさと逃げ出す
本当に海軍は糞だ
自決用の手榴弾で魚を捕って上官にぶん殴られていた。
後の水木しげるである。
先生、取材旅行に行っちゃったね
むしろ本籍が向こうで里帰りしただけなのでは