583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/18(土) 15:16:40 ID:fgpTngI3
学問のこと慶長八年ごろのこと、林羅山や遠藤宗務、松永貞徳といった人々が、それぞれの研究している
「四書新注」「太平記」「徒然草」などの、一般の人々への公開講義を行う事を企画した。
人々の間に、学問を広める事を目的としたものである。
ところがこれに、儒学を家学とする清原家などの、京の伝統的な学派が異議を唱えた。
そして彼らはこれを禁止させるため、家康の元に、今川氏真を派遣した。
氏真は言う、
「学問とは、代々それを受け継いだ師が、その伝統の秘伝を含め弟子に教え伝えることで始めて成就するものです。
それを公開し誰にでも学べるようにする、などと言う事は、学問そのものを破壊してしまいます。」
家康はこう答えた
「師につかなければ、学べないようなものは、学問ではない。芸だ。
学問とは、何から学ぼうが、学ぶ者の努力次第で、天下万民、誰でも会得できるものでなければならない。」
こうして、公開講座は無事開かれた。さらにこの講義内容は出版され、日本全国に知的な興奮を巻き起こした。
一部の人々にのみ伝わっていた「徒然草」が、日本人に「再発見」されたのも、この時である。
学問の世界が、中世から近世的なものへと切り替わった瞬間とも言われる、有名なお話。
コメント一覧
菊門とは違うやつね。
それを公開し誰にでも学べるようにする、などと言う事は、北斗神拳そのものを破壊してしまいます。」
とおもいきや種もみ爺が達人で無双するカオスな絵面に
※4
最初の養子に素質あったのに何故4人も養子追加したんだ、リュウケン
壷の中に複数の毒虫を入れて互いに殺し合わせて
最後に残った一匹を、千尋の谷底に蹴り落とす。
ただの毒虫退治