58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 20:32:08.32 ID:79jgw/fA
滅びの兆しは、大豆の味噌汁に白き飯かって小田原攻めの際、三河武士の大久保忠教たちから糠味噌汁を振舞われ、溜り醤油を足して
味を調えれば味良くならんと言って、吊し上げを食らった井伊直政の息子、夜叉掃門こと井伊直孝が
上野白井藩1万石の大名だった時、二代将軍秀忠の使いとして江戸から駿府に使いして大御所に
拝謁し、一連の報告を終えたあと大御所が尋ねた。
「何か面白き話でもあるか?」
「面白き話かどうかはともかく、近頃の小田原では、大豆の味噌汁が流行っております」
「ふむ・・・・・・大豆の味噌汁か。他には」
「城下の米が白くなりました」
「他には!」
「鯛の鱠と上方からのたまり醤油ももてはやされておりました」
「あいわかった。掃門、赤鰯に黒飯を忘れるなよ」
そういうと大御所は、井伊直孝との会見を終えた。
大久保忠隣没落の数年前の話である。
後年、井伊直孝は、「上に立つ者の心得は、兆しを捉えるの一事に尽きる。糠味噌が大豆味噌に
変わり、黒飯が白飯に、赤鰯が鯛の鱠に変わりしことに気づかぬようでは、家すら治められぬ。
ましてや天下をや」
夜叉掃門こと井伊直孝のちょっと良い話
コメント一覧
せめて最初の文は
「井伊直政の息子、夜叉掃門こと井伊直孝は、かって小田原攻めの際に三河武士の大久保忠教たちから糠味噌汁を振舞われ、これに溜り醤油を足して
味を調えれば味良くならんと言って、大久保たちから質素を旨とする武士にあるまじきことと吊し上げを食らったことがあった。
その後二代目将軍秀忠の時代、上野白井藩1万石の大名となっていた彼は、将軍秀忠の使いとして江戸から駿府に行き、大御所(家康)に
拝謁した。
一連の報告を終えたあと、大御所が直孝に尋ねた。」
ぐらいに書かんと主語も時制もごっちゃで訳が分からん文になってるぞ
それで「こいつらもうだめだな」と分かったと。
そういう話か?
それがわからない者は上に立つ資格はない。
ということか?
税収増のためにと熱帯植物の稲を寒冷地で無理矢理栽培させ
度々大飢饉、大量餓死を引き起こした政治体制草創期の話か
ありがたい。
このコメ欄のイイ!は井伊!って意味だからな
飯!かもしれない。
普通に『めし!』と読んでしまったではないか。
よし、次の萌え4コマのシンプルなタイトルだ!
じゃあそういう風に言いなおすケ?
晒し目的?
文章下手って気づいてないんだろうなこいつ