962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/09(金) 11:09:52 ID:r0gU3SXu
>>960一休さんが弟子連れて鰻屋の前を通った時、いい匂いがしたので「旨そうだな」と一言。
寺に帰った後弟子が「仏に仕える身で鰻が旨そうとは不謹慎じゃないんですか?」と質問。
一休「なんじゃ。お前はまだ鰻のことを考えていたのか。わしは鰻屋の前に捨ててきたわい。」
案外悟りってこういうことなのかもしれん。
971 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/09(金) 13:43:18 ID:GcBMGzcq
江戸時代の高僧も最後の言葉が死にとうないだったらしいな弟子が高僧の最期がこれじゃまずいだろうと思って聞き直してもほんまに、ほんまにと言うばかりだったそうだw
坊さんってそういうもんなのかなぁ
972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/09(金) 14:01:09 ID:f8WuQhos
一休さんが弟子たちに「困ったら読め」って残した書の内容が
「まあ、何とかなるだろ」だったって話を思い出した
コメント一覧
逃げているわけではないと思う。
寺は亡くなった人の供養もあるけど、侍が宝を隠して脱税する場所、神の教えを説いて偉そうにする人を作ってその人を味方につけることで侍の地位を維持する為の場所、戦から逃げたい侍が世捨て人として坊主になり生きていく場所、妾がいらなくなったから尼と名付けて捨てる場所って感じ。
仏教の元のインドは地獄なんか無いって言ってるし。今の人生が嫌なら自殺て次の人生で幸せになればOK、だって輪廻転生は永久だから(^^)って考えだし。
日本の仏教って誰が作った??今でもなぜか税金かからないし、いつの時代の法律守ってんの?って思う。
文句は最澄にどうぞ
なぜ執着を捨てる必要があるかというと、それが苦の原因となるからだ
逆に言えば、苦が生じなければ、執着どうのこうのと拘る必要も無い
執着を去るのは方法であり、目的ではない。