yakiniku0827さん 2014/1/1019:07:23
国語の教科書にあった「ちいちゃんのかげおくり」のちいちゃんってなんで死んだんですか?
大体の人は小学校でやったと思うんですけど、この話です。
http://www.ina-ngn.ed.jp/~yoshiday/kageokuri.htm
僕は36歳ですが、この話を何度読んでも何度読んでも、
なんでちいちゃんが死んだのかよくわかりません…。
ちいの死因ってなんなんですか???
komuroinaさん 2014/1/1419:16:28
元教員です。
あの3月10日、私は、国民学校2年生で、東京の山の手におり、
崖下の防空壕で一晩中過ごしていました。
その体験も踏まえて、お答えします。
残念ながら、現役の頃、授業でこの作品に接したことはありません。
教材の分析と授業のプランは作成しましたが・・。
私は、授業で、児童から、あなたと同じ質問がでることも想定しました。
一般に、児童からの質問は、他の児童に返して、読みを深めていくのですが・・
この質問に限り「・・心も体も疲れてしまったのだろうね。」とあいまいに答えることがベストだと思いました。
作者のあまんきみこさん自身が、ちいちゃんの死因をぼかしているからです。
作者の意図は、ちいちゃんが孤独な死を迎えたことを強調することにあるのです。
ですから、死因について考えるなどの脇道に、子どもの関心をそらせない方が良いのです。
授業としては、「どうして、そんなに、心も体も疲れてしまったのだろう?」と流れていくことを意図していますので・・
おそらく、あなたの先生も、私と同じ考えで、授業を進められたのだと思います。
できれば、あいまいなままにして、孤独な死を重く受け入れていただければ・・と思います。
さて、私のような空襲体験者としては、この作品に、違和感があることもお伝えしておきたいと思います。
1.あの大空襲の後でも、幼児が、ひっそりと孤独な死を迎えることは、絶対にありえないのです。
あの大火災が鎮火した直後から、生存者の捜索・救助活動が行われています。
この活動は、公私を問わず行われました。
私の母も兄も、下町の知人の安否を尋ねて、一日中、歩き回っています。
また、早乙女勝元氏編集の東京大空襲戦災誌(空襲体験者の作文集です)によると、
人々は、家族を求め、生存をあきらめても遺体を、遺体が見つからなければ、
せめて、遺品を・・、とくまなく探しまわ っています。
(隅田川河畔を、毎日たずね歩き、一か月後に、川底から浮上した母親の遺体に巡り会った人も・・)
ですから、幼児が、未発見のまま、孤独死など、考えられないのです。
2.おばさんが、ちいちゃんを置き去りにしたこと。
これも、当時の日本人の連帯感・責任感の強さから、考えられないことなのです。
実は、この違和感の謎は、作者の経歴を読んで氷解しては、います・・。
あまんきみこさんは、大陸からの引き上げ者なのですね。
それなら、分かります。
あの作品には、作者自身の体験が投影されているのですよ。
引き上げ時、親自身さえ、無事、帰国できるか分からない大混乱の中で、
わが子を中国人に託し命の保証を図った親が大 勢いたのです。
その状況下では、おばさんの行動も、ちいちゃんの孤独死も、すなおに、理解できますよね。
大空襲では、鎮火するまでは、生き地獄でしたが、その後は、引き上げ時ほどの混乱が生じなかった。
その違いなのです。
あの朝、防空壕から出てみた光景・・上空だけが青く、四方八方が赤く染まった・・
赤い大きな円柱に囲まれたような錯覚・・は、忘れられません。
東の炎が、他の方位に反射して、周囲のすべてが、赤く染まっていたのです。
付け加え。
あの時期、大都会の一般家庭の人間は、大人も子どもも慢性的な栄養失調でした。
あの翌年(終戦の年です)の私の体重測定の記録が残っていますが、
国民学校3年生の4月が18㎏。5月19㎏。6月に、やっと、20㎏になっています。
それも、やや食糧事情の良かった地方の小都市に疎開しての話です。
あのまま、東京に残っていたら、18㎏の現状維持も難しかったと思います。
国語の教科書にあった「ちいちゃんのかげおくり」のちいちゃんってなんで死んだんですか?
大体の人は小学校でやったと思うんですけど、この話です。
http://www.ina-ngn.ed.jp/~yoshiday/kageokuri.htm
僕は36歳ですが、この話を何度読んでも何度読んでも、
なんでちいちゃんが死んだのかよくわかりません…。
ちいの死因ってなんなんですか???
komuroinaさん 2014/1/1419:16:28
元教員です。
あの3月10日、私は、国民学校2年生で、東京の山の手におり、
崖下の防空壕で一晩中過ごしていました。
その体験も踏まえて、お答えします。
残念ながら、現役の頃、授業でこの作品に接したことはありません。
教材の分析と授業のプランは作成しましたが・・。
私は、授業で、児童から、あなたと同じ質問がでることも想定しました。
一般に、児童からの質問は、他の児童に返して、読みを深めていくのですが・・
この質問に限り「・・心も体も疲れてしまったのだろうね。」とあいまいに答えることがベストだと思いました。
作者のあまんきみこさん自身が、ちいちゃんの死因をぼかしているからです。
作者の意図は、ちいちゃんが孤独な死を迎えたことを強調することにあるのです。
ですから、死因について考えるなどの脇道に、子どもの関心をそらせない方が良いのです。
授業としては、「どうして、そんなに、心も体も疲れてしまったのだろう?」と流れていくことを意図していますので・・
おそらく、あなたの先生も、私と同じ考えで、授業を進められたのだと思います。
できれば、あいまいなままにして、孤独な死を重く受け入れていただければ・・と思います。
さて、私のような空襲体験者としては、この作品に、違和感があることもお伝えしておきたいと思います。
1.あの大空襲の後でも、幼児が、ひっそりと孤独な死を迎えることは、絶対にありえないのです。
あの大火災が鎮火した直後から、生存者の捜索・救助活動が行われています。
この活動は、公私を問わず行われました。
私の母も兄も、下町の知人の安否を尋ねて、一日中、歩き回っています。
また、早乙女勝元氏編集の東京大空襲戦災誌(空襲体験者の作文集です)によると、
人々は、家族を求め、生存をあきらめても遺体を、遺体が見つからなければ、
せめて、遺品を・・、とくまなく探しまわ っています。
(隅田川河畔を、毎日たずね歩き、一か月後に、川底から浮上した母親の遺体に巡り会った人も・・)
ですから、幼児が、未発見のまま、孤独死など、考えられないのです。
2.おばさんが、ちいちゃんを置き去りにしたこと。
これも、当時の日本人の連帯感・責任感の強さから、考えられないことなのです。
実は、この違和感の謎は、作者の経歴を読んで氷解しては、います・・。
あまんきみこさんは、大陸からの引き上げ者なのですね。
それなら、分かります。
あの作品には、作者自身の体験が投影されているのですよ。
引き上げ時、親自身さえ、無事、帰国できるか分からない大混乱の中で、
わが子を中国人に託し命の保証を図った親が大 勢いたのです。
その状況下では、おばさんの行動も、ちいちゃんの孤独死も、すなおに、理解できますよね。
大空襲では、鎮火するまでは、生き地獄でしたが、その後は、引き上げ時ほどの混乱が生じなかった。
その違いなのです。
あの朝、防空壕から出てみた光景・・上空だけが青く、四方八方が赤く染まった・・
赤い大きな円柱に囲まれたような錯覚・・は、忘れられません。
東の炎が、他の方位に反射して、周囲のすべてが、赤く染まっていたのです。
付け加え。
あの時期、大都会の一般家庭の人間は、大人も子どもも慢性的な栄養失調でした。
あの翌年(終戦の年です)の私の体重測定の記録が残っていますが、
国民学校3年生の4月が18㎏。5月19㎏。6月に、やっと、20㎏になっています。
それも、やや食糧事情の良かった地方の小都市に疎開しての話です。
あのまま、東京に残っていたら、18㎏の現状維持も難しかったと思います。
コメント一覧
Blow jobって入れるとよりイイモノが出てくるよ
↑↑
お前等…
教師がその辺の教育をできてないなら寓話とかユーモアとか通じない人間が増えたんだろうな
孤独に押し潰されそうだな。だいたい、国語の教材って言ったって
作者はそのために書いてるわけじゃないんだから、対生徒となると
面倒臭いことも多く生じるだろう。
普通に考えたら飢えて死んだんだろ。
質問者は読めなかったのかな?
アフリカ難民の悲惨さを
聞かされてるのとそう変わらん。
これはイメージとは違うな。
やっぱり生の経験は重いな。
2012年6月29日没