580 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:02/04/11(木) 21:23 ID:qrFHq403
最後に嗚咽したときのことを思い出しました。今から数年前、中学高校と同じ柔道部だった友人の墓参りに行ってきました。
ちょうど実家の方で友人の結婚式があり、そのついででした。
そいつは大学3年の時、交通事故で死にました。お互い高校を出たあとは県外にでたため、異境の地での出来事でした。
実家の方にはほとんど戻っていないのですが、戻る機会があればいつも墓参りに入っていました。
ただその時は、そいつの両親の元を尋ねて行きました。
その家に行くと、何かバタバタしている。その時気づいたんですが、その2日後が七回忌だったんです。
母親が出てきてすぐには気づかなかったようですが、名乗るとすぐに判りました。
そして仏壇の前に通され、焼香をし話し始めた頃から自然と涙が溢れてきました。
「先日H宛に高校の友人と名乗る人から電話があったが、死んだことを告げると、すぐ切ってしまったんですよ。もっと話がしたかったんですけど。」
「7年も経つと、こうやってきてくれるのはあなただけですよ。」
さらに涙が溢れようとします。
涙を必死にこらえるながら、昔のことが思い出されます。
中高と同じ部活だったんですが、高校で主将となった私は、インターハイに出るには厳しくしなければならないなどと思い、ほとんど暴君状態でした。
いばりちらし、うるさく言いまくる。私は部員とは対立し、孤立しました。
副主将だったそいつとは、中学から同じだったこともあり、特にその傾向は強かったです。
そのころはそいつが悪いと、本当に思っていました。
私よりずっと才能はありました。しかし怪我に泣かされ、高校で大きく伸びることはありませんでした。
今にして思うと、才能に嫉妬していたのかなとも思います。
実際こんな仲でしたから、葬式の時には涙は出ませんでした。
ただ「死んだんだな」という感じでした。
しかしその時は涙が止まらなかったです。
ちょうどそのころ私は、起こした会社がいろんな人に助けられて、軌道に乗り始めた頃でした。
やっと落ち着いて周りが見えるようになっていました。
そうすると急に自分はなんとひどいことをやったんだろうと思いました。
そいつのわずか二十数年の人生において、自分はどれほど不愉快な思いを与えただろうと。
葬式の時弔辞を読んだのは私です。主将ということで読んだのですが、本当にそれでよかったんだろうかと。
それ以上に、Hの人生で最も嫌な思いをさせたのは私かもしれないのに、よく来てくれたと感謝してくれる母親の話を聞くと嗚咽は止まりませんでした。
もしそいつが今生きていれば、指導的立場になって柔道界に貢献していたでしょう。
私にはそいつほどの才能はありませんが、それ以降地元で積極的に参加し指導を行うようになりました。
また、大会があるときは努めて裏方として参加しています。
最後に一言。
本当にすまなかった
コメント一覧
その分恩良送りしたらいいと思うよ。
ならない「自己反省」をする、公開オナニーお涙頂戴話。やっぱり
bcxxxは最あ……えっ
あれこれとうるさくかまってくれる、いいキャプテンだったかも
しれないのにね。
長文+柔道部 と来た時点で
「ペロッ、これは…ホモ話!」と判断しがちになってしまった
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ガラッ. |┃ /~ ̄ ̄ ヽ● ヽ
|┃ / ..、.,┤ ヽ
|┃三 / // ミ
|┃ | // ヽ
|┃ | / /⌒ヽ \
|┃三 ヽ | .| ノ \
|┃三 \|,/ .彳
┃| 三
┃| 三
┃| 三
┃| 三
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┃| ピシャッ!
┃| ∧∧
┃| (; ) 三
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それほど酷いかと言うと……特定少数を追い詰めてたなら
人間のクズだけど、せいぜい嫌われ者のお局程度だったら
そんなに責められることもないな。「うるせえけどべつに
殴ったりしないから」と距離置かれてただけかもしれん。
どんな先輩がいちばん嫌か、人によって違うもんだからな。
裸踊りを命令してくれて、おっさんたちの草野球練習場に
連れて行かれてそこで素っ裸にさせられて公開センズリと
脱糞ショーとチンポ芸を強制する、大概の人間にとっては
迷惑パワハラのかたまりみたいな先輩がいて楽しかったし。