699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 16:38:48 ID:gC7rr66y
徳川家康の四男、松平忠吉は、高名な砲術家である稲富一夢理斎から鉄砲術を熱心に学び、稲富から「すべての秘伝を伝授しつくした」との起請を譲り受けたほどであった。
ある時その忠吉が、雁撃ちの猟に出たが、その日に限ってどうしたことか、
雁が人間を警戒し、何をしてもまったく近寄ってこなかった。
ちょうどその場に、稲富からの使者が来ていたのだが、彼は「雁が警戒しているのなら、
このようにすればよいでしょう」と、火縄の付いた鉄砲を文箱にくくりつけ、それを肩にかたげ、
ただの通行人が道路を通っている、という風を装い、これに油断した雁が近づくと、
振向くことなく後ろに向かって鉄砲を撃ち、これをしとめた。
忠吉、これを見て、「おいおい!そんな技は習っていないぞ!」
城に帰ると早速稲富を呼び出し、文句を言った。
「お主はすべての秘術をわしに伝えたと言ったのに、伝え残しがあったではないか!
けしからん!」
これに稲富は
「私は伝え残したことなぞ何もありませんよ」
「しかし狩場でおぬしの使者が見せたあの技は…」
「あれは秘術ではありません。雁が寄ってこなかったことから行った、『工夫』です。
秘伝というのは、高度ではありますが基礎的な技術体系であって、実際には
状況に応じた工夫が必要なのです。
工夫とは、芸に対しての術というもので、技術体系である『芸』に対して、
『術』はその運用活用法です。そして『術』の方は、状況に応じて行われるものため、
技術として伝えることは出来ません。
工夫を思いついたたびに秘伝として伝えようとすれば、起請文が何十枚と必要となるか
わかりませんからね(笑)
どんな事であっても詳細に極めようとすれば、一通りの技術に満足するだけでは駄目で、
常に工夫を尽くさなければならないものなのです」
つまり、『いくらマニュアルの内容を覚えても、それだけでは駄目で、それぞれの状況に応じて、
臨機応変に活用出来てこそ意味があるの。』という事のようだ。
そんな、「天下一の砲術師」と呼ばれた、稲富一夢理斎の言葉。
コメント一覧
雁「ガーン…」
それが「工夫した」ということだ。