692 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)01:11:32 ID:Stg
この季節になると思いだす祖父との会話。数十年前の夏休みの夜、当時小学生だった私と祖父は二人でスイカを食べながら
「火垂るの墓」を視ていた。
叔母さんの家で邪険に扱われる清太を見た私は「悲しいよね、おじいちゃん。
昔は疎開先で同じ目に遭って死んだ子がいっぱいいたんだろうね」と嗚咽してしまった。
すると祖父はため息をついて
「こんな話聞いたことないわ。ここもド田舎の農村じゃからな、都会から疎開者が押し寄せとったが
清太とかいうのより年下の奴でも畑を借りてナスやらジャガイモやら育てて生計たてとったぞ。
そもそも村社会で厄介者がぶらぶらできるわけないやろ。
村の青年団に首根っこつかまれて勤労奉仕に強制参加させられとるわい」と断言した。
でも叔母さんのあの扱いは虐待じゃんと言い返すと
「そりゃ今の基準からしたらな。でも昭和10年代いうたら貧しい農村じゃ
実の親の元で清太よりずっと酷い待遇受けて育つのが普通なんじゃぞ。
あのおばさんの家は裕福な方じゃろ。
おしんなんて戦争に関係なく清太より10倍過酷な環境で育っとるじゃろが。
あれの何処が辛いんじゃ。昔のガキはあんなに軟やない」と吐き捨てられた。
693 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)01:19:15 ID:6fK
ネタ臭いなあ火垂るの墓、子供が見ると清太に肩入れしてオバサンが鬼に見えるけど
大人になって見るとピアノ弾いて遊んで言われないかぎり
手伝いしない清太に批判的に、それでも面倒見るオバサンがいい人に見え、
さらに年とってから見ると、オバサンも清太もそれなりに精一杯頑張ってた、
誰が悪いって話でもないと変わる
爺ちゃんの年で子供が苦労してるのをアニメであろうと批判的になるのは、
ちょっとないと思うわ
694 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)01:28:01 ID:Stg
>>693ネタじゃなくて現に祖父がそう言ってましたからね。
清太を批判というより作品そのものにリアリティがないと言ったんだと思います。
疎開して来た家の子供たちも(たいてい父親が出征していて母親と子供だけで疎開に来た)
みんな自力で畑を耕したり魚釣ったりしてたくましくやってたそうです。
696 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)01:46:12 ID:67Q
火垂るの墓じたいが野坂昭如の懺悔みたいな作品だからかなあ?作品では妹を守ろうとする優しい兄だけど野坂昭如は
自分の取り分の粥を多くしたりして結局妹は栄養失調で亡くなった
戦中の厳しい状況の中兄妹の面倒みるおばさんは優しいと思うし
食料不足なのに食べさせてもらってる身の人間が
何かしてくださいってねだるって贅沢だし迷惑だと思う
698 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)02:33:33 ID:QSQ
火垂るの墓はWikipediaなんか見てるとざっと矛盾点リストアップされてるくらいの悲惨でむごたらしい悲劇を作るために描かれた創作作品だと思えばいいよ。
現代で例えるなら一流企業の社長一家が戦争で死に絶えて、
唯一生き延びた息子が何百億ある遺産を半年で使い切って生活保護を受けたけど
そういう支援も断って数年後に餓死しました…みたいな話だよ。
704 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)09:57:11 ID:Stg
>>698wikiにも矛盾点がリストアップされてるんですか。
祖父は「戦時中でも田舎にはちゃんと食べ物があった。
都会から疎開してきた奴らは着物と交換したり畑仕事を手伝ったりして野菜をもらって
配給だけでやりくりしていた疎開前より栄養をとってた。
地元の俺たちは着物や調度品を手に入れて安価で若者に畑仕事を手伝ってもらえた。
疎開はする方は受け入れる方にも徳がある有益なものだったんだよ」と言ってました。
学校の授業で習った疎開は陰惨なイメージしかなかったのでかなり意外でした。
都会の人に畑仕事の手伝いが出来たのかと聞くと
「俺らも最初は町で良い生活してたモヤシに農作業は務まらねェと思ってた
実際最初連中はモタモタしていてろくすっぽ草刈もできなかったが
飯がかかっているから皆死に者狂いで努力して覚えんだな。
数か月で使い者になったんだよ。
小学生でも村の子と変わらないくらいに稲刈りができるようになってな。
俺も母ちゃんに疎開者があれだけ畑で働いてるがにあんたは追い抜かれたねって
ハッパかけられたわ。」と笑ってました。
711 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)11:13:05 ID:wtZ
>>704うちの祖母は田舎でだいぶ意地悪されたって言ってたなあ。東京もん東京もんって馬鹿にされてたって。
日の丸弁当のご飯が少なくて、片方に寄ってるのを笑われて、より弁ってあだ名つけられたらしい。
当時のひもじい記憶が鮮烈なので、ご飯一粒でも粗末にしない。
732 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/10(日)17:54:22 ID:qBZ
>>711かなりお年の芸能人で何人か「疎開でひどいイジメに遭って語りたくもない」とか
雑誌のインタビューか何かで見たことある。
人により環境により疎開の思い出がいいものかどうかはだいぶ異なるだろうね。
760 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/11(月)01:32:01 ID:UbX
>>732疎開先の田舎者は、安くてこきつかえる労働者が来てラッキー
あいつらも食べなきゃいけないから死にものぐるいで働いてた
都会じゃ何食ってたか知らないが、笑って食べてたから、街ぐらしよりもたくさん食べられたんだろう
疎開した人からしたら、田舎者に足元を見られて、安い賃金で死ぬほど働かされた
都会者と馬鹿にされ、くず野菜を掴まされたけど、生きなきゃいけないからそれで必死に食いつないだ
こっちが暗い顔してるとあいつらますます調子に乗るから、愛想笑いしてたけど、あんな生活最悪だ
ってことだろうね
764 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/11(月)02:05:33 ID:Bzs
同じとこに疎開して同じ対応受けるわけじゃなし、きちんと受け入れる人もいれば、いじめをする人もいたんじゃないの
765 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/11(月)03:08:21 ID:xVN
自分の家に何にもできないヤツが転がり込んで来て、ろくに手伝いもしなかったらどう思う?または、自分の職場に畑違いのヤツ
(肉体労働の現場に元事務職 or 知的労働の会社に身体しか使ったことない みたいな)を
指導しなきゃいけなくなったらどうする?
なかなか、きちんと対応ってできないんじゃないかな?
ましてや、その相手は自分の給料から養わなきゃいけないとしたら。
集落に入ってくるだけでも大変だろうに自宅に居候までされるんだから、
やっぱりどうしても摩擦は起きちゃうよな。
766 :名無しさん@おーぷん : 2016/07/11(月)03:11:31 ID:K6i
>>765摩擦はどうしても生まれると思うがなぁ。
仕事に関しては、やる気次第としか言えないわな
コメント一覧
ひい爺ちゃんが良い人だったらしく長く付き合いが続いてたみたい。
疎開先で病気が流行り、子供達が帰宅すると病気の子が多数いた。現代なら注射器1本で治る病気がその薬が手に入らずに亡くなった。だからうちは本当なら居る親戚が一人居ない。
母は疎開経験者だけど、あんなひどい目にあった人は見たことないって言ってた。
焼け野原になった地元でも小さい畑作って皆で分けたり、ドラム缶拾ってきて風呂焚いたらご近所さんに大盛況だったとか。
皆が皆、そうじゃないのは分かってるけどね。
面白半分で毎日心身を痛めつけられるのが苦痛だった」とか回想してる。
特に平井は、同級生がある日突然自殺したのが後々までにトラウマになったと書いてた。
疎開児童の視線、疎開先住民の視線で物も違って見えるだろうよ。
死ぬ間際に射精してまき散らして末代までの恥を残して
死んでいけばいいのに。俺にとっては人前で射精なんて
少しも恥じゃないけど。
ただの議論をそのまま貼ってどうすんだ