昭和42年暮れ、12月17日の阪神大賞典。キーストンはダービー制覇以来の盟友山本正司騎手を背に、気持ち良さそうにターフを疾駆していた。5頭立てということもあって、誰もが快速キーストンの勝利を疑わなかった。それまでの戦績は24戦18勝、2着3回という驚異的なものだったから。
四コーナーを回った時、突然、キーストンの小柄な馬体がラチ内に沈んだ。山本騎手は宙を飛んでターフに叩き付けられた。キーストンももんどりうって、半転・・・。傍らを後続馬がドドドドと駆け抜けて行く。
キーストンの左前足は完全脱臼。今や皮一枚で繋がっている状態で、立ち上がろうにも全く用をなさない。彼方では山本騎手が脳震盪をおこして、ピクリとも動かない。騎手の方を向いて首を振りもがいていたキーストンは三本の足でやっと立ち上がると、一歩また一歩と、昏倒した騎手に向かって歩き始めた。激痛もものかは・・・
馬が三本足で歩くなど想像も出来ない観客は、心のうちに叫んだ。「キーストン、もう歩かなくていいよ!」「それ以上歩いてはダメだ」 どの馬が勝ったかはもうどうでも良いことだった。実況のアナウンサー松本暢章は涙声となってキーストンを追った。パドックやインタヴューのアナウンサーでキーストンの最期を看取ったのが、杉本清。テレビカメラすらキーストンの姿を追いつづけた。歩いてはいけない!最早手の施しようも無い完全脱臼とは人々も気づかない。まさか完全脱臼の馬が歩けるはずが無いのだ!
キーストンはやっと倒れている山本騎手の所に辿り着くと、心配げに鼻面を摺り寄せ、二度三度起こして立たせようとする。人々の目に、それはまるで、母馬が起き上がれない子馬を励まして、鼻面で優しく立たせようとしている姿に見えた。
山本騎手はその時見た。彼は気絶していてキーストンの骨折を知らなかったが、ボンヤリした視野の中で大きな悲しそうな目、済まなさそうにしばたたく愛馬の目をみた。山本騎手はキーストンの摺り寄せてくる鼻面を掻き抱いて「いいよ、いいよ」と撫で、駆けつけた厩務員に手綱を渡すと、また意識を失っていった。
暫くして甦生した山本騎手は、愛馬の骨折と死を聞いて泣いた。激痛と苦しみの中でキーストンは、なぜ自分をあんな優しい目で見詰めたのだろう?別れを告げに来たのだろうか?テレビで、観覧席で、パドックで、皆、涙してキーストンとの別れを惜しんだが、一番精神的ダメージを受けたのは山本騎手であった。彼はキーストンと別れてから、馬に乗れなくなってしまったのだ。「もう騎乗出来ない」。一時は引退まで考えたと言う。現在調教師の山本正司は、キーストンの話が出ると今でも涙が止まらないと。山本の親友杉本清は、だから山本の前でキーストンの話しができない。
快速馬キーストンは光とともにターフを駆け抜けて、そして、逝った。
キーストンは父ソロナウェー、母リットルミッジの仔として、昭和37年3月15日北海道浦河で快速馬の血を受けて生まれた。子馬の頃は小柄であまり目立たず、歩様はごつごつとしていて、競馬馬として一回でも出走出来れば上出来、とおもわれた。取り柄は、とにかく真面目に一生懸命に走ることだった。しかし、トロットからキャンターに移ると突然流れるような足色となり、ひょっとして、と思わせるものが出て来たので、デヴュー時にはペンシルヴェニア鉄道の超特急”キーストン号”の名前を与えられた。ターフに登場するやその名に恥じず、3歳時にはブッチギリの5戦全勝。4歳になっても弥生賞圧勝と、デヴュー以来破竹の6連勝を遂げ、皐月賞の前哨戦スプリングSに臨んだ。この時の対抗馬は、これも順調に成長してきたダイコーターであった。結果はダイコーターにゴール前でかわされ、キーストン1馬身半差の完敗。快速逃げ馬の宿命かとも思われた・・・・・
巻き返しを期して臨んだ皐月賞。一番人気ダイコーター、2番人気キーストンと人気は屈辱の逆転。結果も、勝ったのは伏兵チトセオー、ダイコーターはそれでも2着でキーストンは生涯最悪の14着と敗れ去った。「キーストンはもうダメではないか」、「距離の長いダービーはもっとダメじゃないかな」と囁かれた。しかし、その後、ダイコーターはNHK杯を圧勝、キーストンもオープン戦を制して復活の兆しを見せた。
昭和40年5月30日。第32回東京優駿(日本ダービー)当日の空は最悪の状態で、馬場はドロドロの不良状態だった。この中で、ダイコーターは1.2倍の段トツ人気。キーストンは遥か離れた2番人気だった。この不良馬場は距離利以上に快速馬には不利であろうと思われたから、2番人気でありながらかなりの高配当であった。
ゲートが開く。キーストンは果敢に逃げた。逃げた。逃げた。山本騎手の手綱に応えて大逃げを打ったのだ。差はグングン開いていく。「飛ばし過ぎ!」 ゴール前でバテバテとなり、ダイコーターにかわされるスプリングSの再現を想像して、観客はどよめいた。しかしキーストンは泥を跳ね上げて持ちこたえた。そのままドドッとゴールになだれ込んだのである。一馬身3/4。かくして、第32回ダービー馬となって栄光に包まれたキーストンに、後の悲劇を予感させるものは何も無かった。
しかし、菊花賞をスプリングS同様な負け方をして以来、キーストンの足は快速馬にありがちの脚部不安に悩まされるようになった。暫く休んではレースに復帰し、そして勝った。鞍上には何時もキーストンを気遣う山本騎手の姿があった。勝ちつつもキーストンの脚部不安も増していった。そしてこのレースで引退という運命の阪神競馬場・・・・・
トキノミノル、テンポイント、シャダイソフィア、マティリアル、ホクトベガ、ライスシャワー、サイレンススズカ。幾多の名馬がターフに散った。中でもキーストンの物語は競馬ファンの感涙を誘い、二度と競馬など見たくないと思わせ、にもかかわらず、競馬から離れられなくしたのである。
馬の生涯は長くても三十歳。それにしても、あまりにも美しくはかない、束の間の輝きであった。
四コーナーを回った時、突然、キーストンの小柄な馬体がラチ内に沈んだ。山本騎手は宙を飛んでターフに叩き付けられた。キーストンももんどりうって、半転・・・。傍らを後続馬がドドドドと駆け抜けて行く。
キーストンの左前足は完全脱臼。今や皮一枚で繋がっている状態で、立ち上がろうにも全く用をなさない。彼方では山本騎手が脳震盪をおこして、ピクリとも動かない。騎手の方を向いて首を振りもがいていたキーストンは三本の足でやっと立ち上がると、一歩また一歩と、昏倒した騎手に向かって歩き始めた。激痛もものかは・・・
馬が三本足で歩くなど想像も出来ない観客は、心のうちに叫んだ。「キーストン、もう歩かなくていいよ!」「それ以上歩いてはダメだ」 どの馬が勝ったかはもうどうでも良いことだった。実況のアナウンサー松本暢章は涙声となってキーストンを追った。パドックやインタヴューのアナウンサーでキーストンの最期を看取ったのが、杉本清。テレビカメラすらキーストンの姿を追いつづけた。歩いてはいけない!最早手の施しようも無い完全脱臼とは人々も気づかない。まさか完全脱臼の馬が歩けるはずが無いのだ!
キーストンはやっと倒れている山本騎手の所に辿り着くと、心配げに鼻面を摺り寄せ、二度三度起こして立たせようとする。人々の目に、それはまるで、母馬が起き上がれない子馬を励まして、鼻面で優しく立たせようとしている姿に見えた。
山本騎手はその時見た。彼は気絶していてキーストンの骨折を知らなかったが、ボンヤリした視野の中で大きな悲しそうな目、済まなさそうにしばたたく愛馬の目をみた。山本騎手はキーストンの摺り寄せてくる鼻面を掻き抱いて「いいよ、いいよ」と撫で、駆けつけた厩務員に手綱を渡すと、また意識を失っていった。
暫くして甦生した山本騎手は、愛馬の骨折と死を聞いて泣いた。激痛と苦しみの中でキーストンは、なぜ自分をあんな優しい目で見詰めたのだろう?別れを告げに来たのだろうか?テレビで、観覧席で、パドックで、皆、涙してキーストンとの別れを惜しんだが、一番精神的ダメージを受けたのは山本騎手であった。彼はキーストンと別れてから、馬に乗れなくなってしまったのだ。「もう騎乗出来ない」。一時は引退まで考えたと言う。現在調教師の山本正司は、キーストンの話が出ると今でも涙が止まらないと。山本の親友杉本清は、だから山本の前でキーストンの話しができない。
快速馬キーストンは光とともにターフを駆け抜けて、そして、逝った。
キーストンは父ソロナウェー、母リットルミッジの仔として、昭和37年3月15日北海道浦河で快速馬の血を受けて生まれた。子馬の頃は小柄であまり目立たず、歩様はごつごつとしていて、競馬馬として一回でも出走出来れば上出来、とおもわれた。取り柄は、とにかく真面目に一生懸命に走ることだった。しかし、トロットからキャンターに移ると突然流れるような足色となり、ひょっとして、と思わせるものが出て来たので、デヴュー時にはペンシルヴェニア鉄道の超特急”キーストン号”の名前を与えられた。ターフに登場するやその名に恥じず、3歳時にはブッチギリの5戦全勝。4歳になっても弥生賞圧勝と、デヴュー以来破竹の6連勝を遂げ、皐月賞の前哨戦スプリングSに臨んだ。この時の対抗馬は、これも順調に成長してきたダイコーターであった。結果はダイコーターにゴール前でかわされ、キーストン1馬身半差の完敗。快速逃げ馬の宿命かとも思われた・・・・・
巻き返しを期して臨んだ皐月賞。一番人気ダイコーター、2番人気キーストンと人気は屈辱の逆転。結果も、勝ったのは伏兵チトセオー、ダイコーターはそれでも2着でキーストンは生涯最悪の14着と敗れ去った。「キーストンはもうダメではないか」、「距離の長いダービーはもっとダメじゃないかな」と囁かれた。しかし、その後、ダイコーターはNHK杯を圧勝、キーストンもオープン戦を制して復活の兆しを見せた。
昭和40年5月30日。第32回東京優駿(日本ダービー)当日の空は最悪の状態で、馬場はドロドロの不良状態だった。この中で、ダイコーターは1.2倍の段トツ人気。キーストンは遥か離れた2番人気だった。この不良馬場は距離利以上に快速馬には不利であろうと思われたから、2番人気でありながらかなりの高配当であった。
ゲートが開く。キーストンは果敢に逃げた。逃げた。逃げた。山本騎手の手綱に応えて大逃げを打ったのだ。差はグングン開いていく。「飛ばし過ぎ!」 ゴール前でバテバテとなり、ダイコーターにかわされるスプリングSの再現を想像して、観客はどよめいた。しかしキーストンは泥を跳ね上げて持ちこたえた。そのままドドッとゴールになだれ込んだのである。一馬身3/4。かくして、第32回ダービー馬となって栄光に包まれたキーストンに、後の悲劇を予感させるものは何も無かった。
しかし、菊花賞をスプリングS同様な負け方をして以来、キーストンの足は快速馬にありがちの脚部不安に悩まされるようになった。暫く休んではレースに復帰し、そして勝った。鞍上には何時もキーストンを気遣う山本騎手の姿があった。勝ちつつもキーストンの脚部不安も増していった。そしてこのレースで引退という運命の阪神競馬場・・・・・
トキノミノル、テンポイント、シャダイソフィア、マティリアル、ホクトベガ、ライスシャワー、サイレンススズカ。幾多の名馬がターフに散った。中でもキーストンの物語は競馬ファンの感涙を誘い、二度と競馬など見たくないと思わせ、にもかかわらず、競馬から離れられなくしたのである。
馬の生涯は長くても三十歳。それにしても、あまりにも美しくはかない、束の間の輝きであった。
コメント一覧
どう考えてもディープのがヤベーだろ!おおん?
前半だけでいい。
でも犬はいや
文字ビッシリで読む気が起きない・・・
馬は1本足を骨折するともう歩けないんだよ。
苦しみながら死んでいくしかない。だからその前に安楽死させる。
ていうのを何かで読んだな。人間だって寝転がったままじゃ水飲みこめないし食べ物吐いちゃうから介護ベッドにはリクライニングがついてる。
場違いじゃないかよ、と思いながら
今は画面がにじんでよく見えません
今は※欄読めないが
サラブレッドの脚はそこらのガリガリタレントよりもっともっと細いからな。
1本使えないと体重に負けて血管が圧迫されて血が止まる。そして生きながら脚が腐る。
私の馬(乗用馬だが)も蹄葉炎で死んだ。安楽死のとき死ぬほど悩んだし、今も後悔してる。
でも他にどうしようもなかった。
動物も人間と同じ様な感情を持ち合わせているのでしょうか。
お前には競馬の良さは絶対に分からない。
※15
YouTubeかニコニコにキーストンの動画あったよ。
動画じゃ薄れるけどね、視界が。
いや煽りとかじゃなく単純にわからない
でも、そのおかげでこの世に生を受けた
ギャンブルに利用されては同感だけどね。
ギャンブルはダメ、食うのは良いとか言うんだろうか。
一瞬でも輝いて、キーストンは嬉しかったはずなんだよ。
走る喜びがあった。 たかがギャンブル、でも馬にとっては最高の舞台なんだ。
んなもん全ての動物に言えること。個人の主観の貴賎だけで判断するなよ
それに馬はほっといても騎手が乗っていなくても
勝手に走りまわって追いかけっこをする生き物なんだから
本性として走るのがすごく好きな生き物なんだよ
事実、レースでも遊びの中でも走り勝った馬は嬉しそうに誇るし
負けた馬は下を見てうつむいたり、不機嫌になったりする
大切なパートナー(騎手や調教師)を理解して懐いて
怪我や病気の中でもパートナーが姿を現すと首を伸ばして甘えようとする姿を見ても
利用されているだけのかわいそうな人生だと思うか?
そういう意味じゃ一時の娯楽のために無意味に犬とおつかいさせられていたサルのがよほど不憫だ
猿や犬にも、幸せと苦労がある。
幸せや苦労は比べるものじゃない事は明確だよね。
何にでも可哀想言う人は、確かに可哀想だけどさ。
可哀想可哀想って鬱になる為に産まれて来たんだろうからね。