昔、私をいじめから救ってくれたヒーローがいた
コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:fAvAI+Wg
コピペ投稿日時:2017/07/17 09:55
コピペ投稿日時:2017/07/17 09:55
■昔、私をいじめから救ってくれたヒーローがいた
思うところがあって、お礼の手紙を書いてみたいと思う。
すごく長くなったけど、どうしても全部吐き出したかった。
子供の頃、ヒーローに会ったことがある。
毎日、小学校でいじめられていた私の狭い世界を、一瞬で壊してくれたその人は、有名なスポーツ選手だった。
いじめが始まったのは、小学校の中学年。たぶん、三年生の後半だったと思う。
いじめの内容は、スタンダードなものだった。
バイキン呼ばわりして、私や持ち物を避ける。
机の上に筆箱を出しっぱなしにしていると、休み時間に奪われて、それで菌のつけ合いがはじまる。
遠足の時の写真が教室に張り出されると、私の顔だけポスカで塗りつぶされる。
お風呂に入ろうが何しようが、臭いだの汚いだの言われる毎日だったけど、途中からエイズとか言われるようになった。
その時期、ニュースでエイズが取り上げられるようになったから、男子が面白がって言いはじめて、クラス中に広がった。
みんなが口を揃えて言うには。私はどうしようもないブスで、そのうえ吐き気がするほど汚くて、誰も友達になりたいと思えない、世界一気持ち悪い女ということだった。
学級会的なこともあったけど、ほとんど意味がなかった。
だから、三年生から六年生までずっといじめられていた。
きっかけはよく思い出せない。
昔から身体が小さくて、いまで言ういじられキャラみたいな感じだったのが、ゆっくりといじめに変化していった感じだった。
それまでは、体が小さいくせに運動が得意で、女子より男子と遊ぶことが多かった。
だから、男女とか言われることも多かった。
もしかして、それも一因かもしれない。
いじめられて一番辛かったのは、休み時間に誰も遊んでくれなくなること。
集団で遊ぶことが好きだったから、ドッチボールに入れてもらえなくなって本当に辛かった。
そんなある日、学校のみんなが夢中になるブームがやってきた。
三十代の人は、記憶があると思う。
Jリーグブームだ。
Jリーグが始まってから、休み時間はサッカーをする人が増えた。
いつもそれを指を加えて見ていたけれど、兄弟の友達に誘われて、地域のサッカーチームに参加することになった。
チームには、もちろん毎日いじめてくるクラスの男子もいた。
でも先輩にあたる前述の友達や、コーチ達の前ではいじめられることがなく、普通にサッカーができた。
心にはモヤモヤするものがあったけど、一緒に遊べるうれしさがそれを上回っていた。
学校ではいじめられて。
その鬱憤を晴らすように、土日の練習に参加した。
でも、あんまり上手くなかった。走るのは得意でもボールコントロールが下手だった。
試合はいつも補欠。
まともに出たことはないけど、一回だけ偶然にシュートを決めたことがあった。
あれは本当に気持ちよかった。
そうやって、子供なりにストレスをコントロールしていたけど、気持ちは徐々に苦しくなっていった。
もうダメだ。学校行くのをやめたい。そんな風に思っていた。
この時期、うちの親は転校を考えていたようだ。
ちょうど子供の自殺が、全国的に騒がれはじめた頃合いでもあった。
まかり間違っても我が子に死なれたくない。学校に行きたくないと言い出したら、しばらく休ませるか隣の学区に転校させよう。
そう考えて、情報を集めているところだったらしい。
そんな一番辛い時。
冗談抜きで死にたいと思っていた時に、私はヒーローに会った。
あの時のことは、生涯忘れることはないと思う。
参加していたサッカーチームが、とあるイベントに参加することになった。
首都圏にあるサッカーチームが集まって試合をするというイベントで、なんとそこに人気のJリーガーが来るということだった。
移動のバスでは、みんなでワクワクソワソワしていた。
事前にカズが来ないと知らされたけど、超有名な選手が10人くらい来ると聞いたので、テンションは下がらなかった。
移動中に諸注意が伝達されて、真っ先にサインをねだることは禁止された。
ブーブー言いながら、なんやかんやとイベントの試合をこなして、ようやく選手とふれあえる時間がきた。
コーチ達に、さあ行っておいでと言われた時には、すでにすごい人だかりができていた。
憧れの選手達がいるのに、とてもではないけど全員と話ができそうにない。
サインどころか、握手してもらうのも難しそうだった。
どうしようか……と立ち竦んでいた時、緑のユニフォームが目に入った。
読売ヴェルディのユニフォームだ。
当時、一番好きだったチームのとある選手が目の前にいた。
衝動的に人だかりに入っていって、夢中になってユニフォームを目指した。
きっと握手は難しい。
でもせめて、あのユニフォームにさわってみたいと思ったんだ。
他のチームの子をかきわけて、やっとのことでそのユニフォームを握った。
その時、頭に大きな手がやってきて、グイと顔を上げさせられた。
「あ、やっぱり女の子か」
目指していた選手は、私の顔を見てそう言った。
首都圏のチームには、ちらほらと女の子が混じっていたけど、まだまだ数が少なかった。
だから珍しかったんだと思う。
最初、ショートカットにして日焼けで真っ黒になっていたのに、よくわかったなと驚いた。
次に、ものすごく緊張した。
だって私は、みんなが言うには世界で一番気持ち悪い女だ。
どんなに洗っても、臭いと避けられるバイキンなのだ。
あっちに行けと言われたらどうしよう。
そんな風に考えて、一瞬で泣きそうになった。
もしかしたら、ユニフォームが汚れたと怒られるかもしれない。
さわろうと思わなければよかった。
イベントに来なければよかった。
急に怖くなって、逃げようとした。
でも頭はガッチリつかまれてるし、前後左右は人だらけで移動なんかできそうになかった。
緊張で固まっていると、その選手は私を見て笑ってくれた。
逆光だったから、笑った時に見えた真っ白な歯が、なにより印象に残っている。
「がんばってね」
その選手は、ひとこと励まして頭をなでてくれた。
たったそれだけだったけど、私の狭い世界を壊すにはそれだけで十分だった。
嫌がられなかった。
臭いと言われなかった。
気持ち悪いと避けられることもなかったし、それどころか笑ってくれた。
周りがみんな敵という状態だったから、好意的に受け入れてもらうという体験が新鮮で、心の底からうれしかった。
しかもその相手は、あの読売ヴェルディの超有名な選手だったのだ。
冗談抜きで、世界が壊れた。
もちろん良い意味でだ。
私は別に汚くも気持ち悪くもない、普通の一人の子供なんだ。
あの笑顔と励ましは、ちゃんとそれを教えてくれた。
この日から、いじめられても大丈夫になった。
もちろん辛い時もあったけど、根っこの部分が補強されたから挫けることはなかった。
どんなに汚いと言われても「でもあの選手は、そんな風に思っていない」と思えた。
クラスメイトの言う「みんな」が、本当の意味での「みんな」じゃない。
その証拠に、あの人は私をなでてくれたじゃないか。
だからいまの悪口も適当な発言だ。
私はバイキンなんかじゃない。普通の子供なんだ。そう考えられるようになった。
自信が回復したためか、この時期から奇妙な変化も起きた。
学校ではいじめられるけど、放課後になれば遊んでくれる友達ができたんだ。
しかも、何人も。
その人達は口を揃えて「学校では○○さんが怖いから一緒に遊べない」「クラスでは△△君が見てるから、話ができない」と言った。
本当に自分を嫌っているのは、クラスでたった二人。
他の人達は、その怖い二人の顔色をうかがっていただけだったらしい。
学校では相変わらずだったけど、放課後になれば楽しい日々がやってきた。
その二人は遠い団地に住んでいて、放課後に私が住んでいる団地に来ることはなかったから、存分に遊ぶことができた。
小学校を卒業すれば、あの二人に会わなくなる。
それだけを頼りに、毎日学校に行っていた。
想像はあたっていて、小学校を卒業して中学校に入ったら、徐々にいじめは止んでいった。
しばらくはいじめを続行しようとする人もいたけど、中学を卒業するまでに気がつけば全部終わっていた。
高校に入って、家の近くのコンビニでバイトを始めると、あの時のクラスメイトがお客としてやってくることがあった。
みんな店員が私だと知ると、一瞬気まずそうな顔をする。
でも私はがんばって、できるだけ普通に話しかけた。
そうしたら、みんな照れくさそうに話に応じてくれた。
買い物が終わって出ていく時に、「あの時はごめんな」と謝る人もいたし、それには触れずに「バイトがんばってね」と言う人もいた。
いじめというのは、本当に狭い世界の話だった。
どういう理屈かしらないけど、あの狭くて小さな世界は人を狂わせる。
でも一度外に出てしまえば、みんな普通に戻る。
私は、あの選手に会えたことで外に出ることができた。
本当に幸運なことだったと思う。
なにしろ日本代表として活躍して、それこそ日本中にサポーターがいた選手に、ほんの数秒のこととはいえサポーターになってもらえたんだ。
そんな経験はめったにないことだと思う。
あれから色々なことがあったけど、胸にはいつも「がんばってね」という言葉があった。
社会に出て、結婚して、子供を生んで。
いま、人並みの幸せというものを噛み締めながら、あの人に会えてよかった、自殺なんかしなくてよかったと思っている。
昨日の夜、旦那と子供が遊んでいるのを見ていて、ふとお礼がしたいなと思った。
私の人生を救ってくれたあの選手に、ありがとうを伝えたいと思いついた。
いまさら気恥ずかしくて、とてもメールなんか送れないけど。ここに書くことで、いつか偶然にでも目に入ってくれればうれしい。
私のヒーローであるあなたへ。
何万人もの子供に応援されてきたあなたは、私を覚えていないと思いますが、私はあの日のことを絶対に忘れません。
あれから、やっぱりサッカーは上達しなかったけど、いまも家族でJリーグを応援しています。
旦那と出会い、影響されてとあるチームのサポーターとなり、時々スタジアムに足を運んでいます。
あんなにヴェルディっ子だった私が「緑は大っ嫌い♪」と歌う日が来るとは思いもしなかったのですが、いまもサッカーは大好きです。
あの時は、本当にありがとうございました。
おかげさまで、とても幸せな毎日を過ごせています。
あなたは、きっとこれからもサッカー人生を歩んで行かれることでしょう。
そんなあなたを、遠い場所からではありますが、これからもずっと応援し続けていきたいと思っています。
あの時、いじめられっ子の小学生だった、あなたのサポーターより。
ラモス瑠偉選手へ、感謝を込めて。
思うところがあって、お礼の手紙を書いてみたいと思う。
すごく長くなったけど、どうしても全部吐き出したかった。
子供の頃、ヒーローに会ったことがある。
毎日、小学校でいじめられていた私の狭い世界を、一瞬で壊してくれたその人は、有名なスポーツ選手だった。
いじめが始まったのは、小学校の中学年。たぶん、三年生の後半だったと思う。
いじめの内容は、スタンダードなものだった。
バイキン呼ばわりして、私や持ち物を避ける。
机の上に筆箱を出しっぱなしにしていると、休み時間に奪われて、それで菌のつけ合いがはじまる。
遠足の時の写真が教室に張り出されると、私の顔だけポスカで塗りつぶされる。
お風呂に入ろうが何しようが、臭いだの汚いだの言われる毎日だったけど、途中からエイズとか言われるようになった。
その時期、ニュースでエイズが取り上げられるようになったから、男子が面白がって言いはじめて、クラス中に広がった。
みんなが口を揃えて言うには。私はどうしようもないブスで、そのうえ吐き気がするほど汚くて、誰も友達になりたいと思えない、世界一気持ち悪い女ということだった。
学級会的なこともあったけど、ほとんど意味がなかった。
だから、三年生から六年生までずっといじめられていた。
きっかけはよく思い出せない。
昔から身体が小さくて、いまで言ういじられキャラみたいな感じだったのが、ゆっくりといじめに変化していった感じだった。
それまでは、体が小さいくせに運動が得意で、女子より男子と遊ぶことが多かった。
だから、男女とか言われることも多かった。
もしかして、それも一因かもしれない。
いじめられて一番辛かったのは、休み時間に誰も遊んでくれなくなること。
集団で遊ぶことが好きだったから、ドッチボールに入れてもらえなくなって本当に辛かった。
そんなある日、学校のみんなが夢中になるブームがやってきた。
三十代の人は、記憶があると思う。
Jリーグブームだ。
Jリーグが始まってから、休み時間はサッカーをする人が増えた。
いつもそれを指を加えて見ていたけれど、兄弟の友達に誘われて、地域のサッカーチームに参加することになった。
チームには、もちろん毎日いじめてくるクラスの男子もいた。
でも先輩にあたる前述の友達や、コーチ達の前ではいじめられることがなく、普通にサッカーができた。
心にはモヤモヤするものがあったけど、一緒に遊べるうれしさがそれを上回っていた。
学校ではいじめられて。
その鬱憤を晴らすように、土日の練習に参加した。
でも、あんまり上手くなかった。走るのは得意でもボールコントロールが下手だった。
試合はいつも補欠。
まともに出たことはないけど、一回だけ偶然にシュートを決めたことがあった。
あれは本当に気持ちよかった。
そうやって、子供なりにストレスをコントロールしていたけど、気持ちは徐々に苦しくなっていった。
もうダメだ。学校行くのをやめたい。そんな風に思っていた。
この時期、うちの親は転校を考えていたようだ。
ちょうど子供の自殺が、全国的に騒がれはじめた頃合いでもあった。
まかり間違っても我が子に死なれたくない。学校に行きたくないと言い出したら、しばらく休ませるか隣の学区に転校させよう。
そう考えて、情報を集めているところだったらしい。
そんな一番辛い時。
冗談抜きで死にたいと思っていた時に、私はヒーローに会った。
あの時のことは、生涯忘れることはないと思う。
参加していたサッカーチームが、とあるイベントに参加することになった。
首都圏にあるサッカーチームが集まって試合をするというイベントで、なんとそこに人気のJリーガーが来るということだった。
移動のバスでは、みんなでワクワクソワソワしていた。
事前にカズが来ないと知らされたけど、超有名な選手が10人くらい来ると聞いたので、テンションは下がらなかった。
移動中に諸注意が伝達されて、真っ先にサインをねだることは禁止された。
ブーブー言いながら、なんやかんやとイベントの試合をこなして、ようやく選手とふれあえる時間がきた。
コーチ達に、さあ行っておいでと言われた時には、すでにすごい人だかりができていた。
憧れの選手達がいるのに、とてもではないけど全員と話ができそうにない。
サインどころか、握手してもらうのも難しそうだった。
どうしようか……と立ち竦んでいた時、緑のユニフォームが目に入った。
読売ヴェルディのユニフォームだ。
当時、一番好きだったチームのとある選手が目の前にいた。
衝動的に人だかりに入っていって、夢中になってユニフォームを目指した。
きっと握手は難しい。
でもせめて、あのユニフォームにさわってみたいと思ったんだ。
他のチームの子をかきわけて、やっとのことでそのユニフォームを握った。
その時、頭に大きな手がやってきて、グイと顔を上げさせられた。
「あ、やっぱり女の子か」
目指していた選手は、私の顔を見てそう言った。
首都圏のチームには、ちらほらと女の子が混じっていたけど、まだまだ数が少なかった。
だから珍しかったんだと思う。
最初、ショートカットにして日焼けで真っ黒になっていたのに、よくわかったなと驚いた。
次に、ものすごく緊張した。
だって私は、みんなが言うには世界で一番気持ち悪い女だ。
どんなに洗っても、臭いと避けられるバイキンなのだ。
あっちに行けと言われたらどうしよう。
そんな風に考えて、一瞬で泣きそうになった。
もしかしたら、ユニフォームが汚れたと怒られるかもしれない。
さわろうと思わなければよかった。
イベントに来なければよかった。
急に怖くなって、逃げようとした。
でも頭はガッチリつかまれてるし、前後左右は人だらけで移動なんかできそうになかった。
緊張で固まっていると、その選手は私を見て笑ってくれた。
逆光だったから、笑った時に見えた真っ白な歯が、なにより印象に残っている。
「がんばってね」
その選手は、ひとこと励まして頭をなでてくれた。
たったそれだけだったけど、私の狭い世界を壊すにはそれだけで十分だった。
嫌がられなかった。
臭いと言われなかった。
気持ち悪いと避けられることもなかったし、それどころか笑ってくれた。
周りがみんな敵という状態だったから、好意的に受け入れてもらうという体験が新鮮で、心の底からうれしかった。
しかもその相手は、あの読売ヴェルディの超有名な選手だったのだ。
冗談抜きで、世界が壊れた。
もちろん良い意味でだ。
私は別に汚くも気持ち悪くもない、普通の一人の子供なんだ。
あの笑顔と励ましは、ちゃんとそれを教えてくれた。
この日から、いじめられても大丈夫になった。
もちろん辛い時もあったけど、根っこの部分が補強されたから挫けることはなかった。
どんなに汚いと言われても「でもあの選手は、そんな風に思っていない」と思えた。
クラスメイトの言う「みんな」が、本当の意味での「みんな」じゃない。
その証拠に、あの人は私をなでてくれたじゃないか。
だからいまの悪口も適当な発言だ。
私はバイキンなんかじゃない。普通の子供なんだ。そう考えられるようになった。
自信が回復したためか、この時期から奇妙な変化も起きた。
学校ではいじめられるけど、放課後になれば遊んでくれる友達ができたんだ。
しかも、何人も。
その人達は口を揃えて「学校では○○さんが怖いから一緒に遊べない」「クラスでは△△君が見てるから、話ができない」と言った。
本当に自分を嫌っているのは、クラスでたった二人。
他の人達は、その怖い二人の顔色をうかがっていただけだったらしい。
学校では相変わらずだったけど、放課後になれば楽しい日々がやってきた。
その二人は遠い団地に住んでいて、放課後に私が住んでいる団地に来ることはなかったから、存分に遊ぶことができた。
小学校を卒業すれば、あの二人に会わなくなる。
それだけを頼りに、毎日学校に行っていた。
想像はあたっていて、小学校を卒業して中学校に入ったら、徐々にいじめは止んでいった。
しばらくはいじめを続行しようとする人もいたけど、中学を卒業するまでに気がつけば全部終わっていた。
高校に入って、家の近くのコンビニでバイトを始めると、あの時のクラスメイトがお客としてやってくることがあった。
みんな店員が私だと知ると、一瞬気まずそうな顔をする。
でも私はがんばって、できるだけ普通に話しかけた。
そうしたら、みんな照れくさそうに話に応じてくれた。
買い物が終わって出ていく時に、「あの時はごめんな」と謝る人もいたし、それには触れずに「バイトがんばってね」と言う人もいた。
いじめというのは、本当に狭い世界の話だった。
どういう理屈かしらないけど、あの狭くて小さな世界は人を狂わせる。
でも一度外に出てしまえば、みんな普通に戻る。
私は、あの選手に会えたことで外に出ることができた。
本当に幸運なことだったと思う。
なにしろ日本代表として活躍して、それこそ日本中にサポーターがいた選手に、ほんの数秒のこととはいえサポーターになってもらえたんだ。
そんな経験はめったにないことだと思う。
あれから色々なことがあったけど、胸にはいつも「がんばってね」という言葉があった。
社会に出て、結婚して、子供を生んで。
いま、人並みの幸せというものを噛み締めながら、あの人に会えてよかった、自殺なんかしなくてよかったと思っている。
昨日の夜、旦那と子供が遊んでいるのを見ていて、ふとお礼がしたいなと思った。
私の人生を救ってくれたあの選手に、ありがとうを伝えたいと思いついた。
いまさら気恥ずかしくて、とてもメールなんか送れないけど。ここに書くことで、いつか偶然にでも目に入ってくれればうれしい。
私のヒーローであるあなたへ。
何万人もの子供に応援されてきたあなたは、私を覚えていないと思いますが、私はあの日のことを絶対に忘れません。
あれから、やっぱりサッカーは上達しなかったけど、いまも家族でJリーグを応援しています。
旦那と出会い、影響されてとあるチームのサポーターとなり、時々スタジアムに足を運んでいます。
あんなにヴェルディっ子だった私が「緑は大っ嫌い♪」と歌う日が来るとは思いもしなかったのですが、いまもサッカーは大好きです。
あの時は、本当にありがとうございました。
おかげさまで、とても幸せな毎日を過ごせています。
あなたは、きっとこれからもサッカー人生を歩んで行かれることでしょう。
そんなあなたを、遠い場所からではありますが、これからもずっと応援し続けていきたいと思っています。
あの時、いじめられっ子の小学生だった、あなたのサポーターより。
ラモス瑠偉選手へ、感謝を込めて。
コメント一覧
人生の転機となった位の衝撃だったなら、お礼位きちんと本人に伝えなさいな
近頃はそうでもないんだよ
こういうコピペが回ると、お節介な奴がわざわざリンクをその有名人がやってるツイッターやブログ、所属事務所なんかにメールしたり教えたりする
昔はせいぜい手紙だけとかそんなだったけど、SNSなんかの拡散力はすごい
有名人本人まで届く距離がめちゃめちゃ近くなったよな
だとしてもお礼ならちゃんと本人に手紙で書けよww
モップが喋ったぁ
この娘はもともと芯が強かったんだろう。未熟なクソガキのくせに
人の安寧を壊す悪意だけはいっちょ前の低能なんかに、本来的には
負けるはずがなかった。でも悪人っていうのはルール無視するから
本当に『強い』もんだ。そういうハリボテの『強さ』でみっともなく
いじめを扇動するガキに対し、一時会っただけの女の子に何年間も
感謝と憧憬と童貞と尊敬の思いを抱かれていた偉大なるヒーロー……
今大人になっているはずのクソガキは、酷いパワハラにでも遭って
自殺を考えながら自身の無力さと下劣さを思い知っていればいい。
サッカーは興味ないけど、たとえば体育会の部活で「ふんどし強制」が
言い渡された場合、武道系はそんな違和感ないけどサッカーとかだと
部員たちの戸惑いが大きそうで想像するとワクワクするね。プロでも
あったりして。それこそラモスみたいな外国人選手が「ニッポンには
こんな恥ずかしいパンツがあるのか!」って最初こそ拒否するものの、
いつのまにかはしゃいで赤フンいっちょでフィールドを走ってたり。
日本男児のふんどしに飽きたら注目は外国人。地方の神輿なんかで
肌の黒いアフリカ系の短髪兄貴が白ふんどしいっちょで「わっしょい、
わっしょい」なんてやってたら絶対人気者になる。
そのラモスに子種シュートされたってことでいいのか
まさお生きとったんかワレ!!