コピペ投稿者:名無しさん  投稿者ID:SeOWOpwz
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面白い物語の「面白さ」はどこから来るのか? 「物語の探求」読書会

面白い小説・マンガ・映画・ゲームに没頭しているときは分からない。だが、お話が終わった後、あらためて、なぜそれを面白いと思ったのかは、気になる。

その物語の「面白さ」はどこから来たのか
誰にでもウケるのか(「面白さ」は一般化できるのか)
「面白さ」は再現できるのか
そんな疑問を抱えていたら、面白い読書会があったので、参加してきた。

「物語の探求」読書会(ネオ高等遊民サークル)

タケハルさん(脚本家)
スケザネさん(シナリオライター)
ネオ高等遊民さん(哲学Youtuber)
Dain(ブロガー)
小説、漫画、映画、舞台、ゲームなどジャンルの垣根を越えて、「物語」について考えるオンライン読書会。たとえば、「ラストで感動させる仕掛けはどう使われているか」「物語世界に巻き込む外的焦点化とは何か?」など、物語を創る側の視点から考える。

第1回の課題本

『物語の力 物語の内容分析と表現分析』
高田明典、竹野真帆、津久井めぐみ(大学教育出版)

物語の役割は、現実と折り合いをつけること
現実の問題をずらして「面白い」を作る
スタイルと物語を分けられるか
ルフィの目はなぜ点なのか
主人公が酷い目に遭うのが面白い物語?
『デスノート』と『マクベス』に共通する仕掛け
1. 物語の役割は、現実と折り合いをつけること

『物語の力』は、小説やマンガ、映画やゲームにある「物語」に焦点を当てる。前半の基礎編で「表現の分析」と「内容の分析」の双方から解説し、後半の応用編で『進撃の巨人』や『ポケモンGO』『君の名は。』等の具体的な作品の中にある「物語の力」を分析する。

まず、『物語の力』を読んだときの第一印象より。

Dain:読みながら浮かんだのは、「物語とは何か?」「物語の役割とは?」という疑問だった。文字などない大昔から物語はあったはずで、共同体の価値観を伝えるという役割だったのでは。

たとえば、「良い」「悪い」という判断基準や、食物や安全な場所、毒や敵といった危険なものなどを伝える役割。祭りとか物忌みを伝えるシャーマンや神話の「物語」として生き残っているんじゃないかな。ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』や『千の顔を持つ英雄』にある、原始的な物語です。

そういう価値観を伝えるうちに、伝える形式として「はじめ・なか・おわり」みたいなものが作り上げられていったんじゃないかと。


タケハル:私の印象だと、『物語の力』は研究者の分析ですね。小説を書く人と研究する人の違い。物語を創る方からすると、学者とは発想が違うなぁと。ル=グウィンのエッセイ『夜の言葉』の一節を思い出しました。

「どうやって小説を書くのか?」と問われたとき、ル=グウィンがこう答えたそうです―――「小説について知りたかったら、学者に聞け」と。なんでこんな答えなのか。小説は海みたいなもの。海について聞きたければ、海洋学者に聞くほうが、話が早い。『夜の言葉』では、こう記されています。

「海自身のもとへ行ってたずねたとしたら、海はなんと言うでしょうか。ただ轟き、寄せる音ばかり。海は海であることに忙しすぎて、自分のことについてなにかを知る暇などないのです」

物語を作る時は、海に「なる」ので、自分自身が見えない。海を研究するのは「自分」対「海」という構図であり、自我が保たれている。海に「なる」のは神がかり、もしくはある種の狂気を意味する。

これ、モームも似たようなことを言ってます。ある研究者がいたのですが、彼は文学を研究してはいるものの、「小説を読むのは楽しい」なんて一言もいわなかったとか。でもわたしたちが読むのは、出来事が「はじめ・なか・おわり」の形に並べられたものが好きだからじゃないかと。

うまいラーメンとまずいラーメンの差はあるけれど、ラーメンそのものを食べるのは、好きだからとしか言いようのないのと同じく、物語を楽しむのは好きだからだと思う。


Dain:僕らはなぜラーメンが好きなのかというと、油と炭水化物がたっぷりあるからで、油も炭水化物も、ヒトが生きるのに必要で、ラーメンを食べると効率的に摂れるから……スティーブン・ピンカーの「チーズケーキ仮説」を思い出した。

僕らがチーズケーキを好きなのは、糖とか油がたっぷり入っているからで、これらは生きるのに不可欠な栄養素だ。チーズケーキばかりずっと食べ続けるのは、(太っちゃうから)適応的じゃないけれど、糖や油を「美味しい」と感じて好むのは、適応で説明がつく。

同じように、僕らが物語を好むのは、何らかの要素が適応的に働いて、その結果、物語を「面白い」と感じるのではないかと(ちょうど、ラーメンやチーズケーキを「美味しい」と感じるように)。

そして、僕らが物語を好むように適応的に働いている要素は、「変化に気づく」じゃないかなと思う。変化も事件も一切ない物語を味気ない。けれど、日常の中に変化が起きる物語は楽しい。それは、パターン化された現実で変化を見付ける―――背景に隠れた天敵だとか、木の実だとか―――ことに敏感な方が、適応的だからじゃないかと。


スケザネ:これに近い文脈で、「現実を理解するための物語」が挙げられます。そこで、『博士が愛した数式』で有名な小説家・小川洋子のエッセイを紹介したいです。『物語の役割』というそのものズバリのタイトルで、ちくまプリマ―新書から出ています。なぜ私たちは物語を必要とするのかがテーマです。

『物語の力』では、物語の訴求力として「有効な解決策」とか「有効な筋道」といったポジティブな意味で用いられていましたが、『物語の役割』では、それとはちょっと違う筋道です。

そこでは彼女は物語の役割を、「受け入れがたい現実を、物語の形に構成しなおして、受け入れるのだ」と語っています。

そこに、エリ・ヴィーゼルというユダヤ人作家のエピソードが出てきます。ナチスの強制収容所でことで、それは悲惨な―――子どもが首吊りをさせられるような―――体験をします。そんな酷い現実を、人間はどうやって受け止めるか。それには、こういう背景があって、こういうロジックがあって……といった形にしないと、とてもじゃないが受け入れられなかった。

同様に、現実で苦しいことや理不尽なことに直面したとき、そのままの形では受け入れ難い。そのとき、背景や理由がこうだからといった、自分自身を納得させるために、物語としてのフォーマットが必要なのでは。ポジティブな解決には至らないけれど、とにかく現実を理解させるために物語という形式がある。


Dain:それ、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』を思い出しました。ユダヤ人の親子が強制収容所に連れていかれる話。収容所でなんでこんな恰好をさせられるのか、なんで自由に出歩けないのか、という子どもの疑問に、お父さんは嘘をつく「これはゲームなんだ、遊びなんだ」と。その嘘―――というか物語を貫き通そうとする。ガス室に送られて死ぬかもしれないという悲惨な現実を、「ゲーム」という物語で子どもに理解させようとする。
2. 現実の問題をずらして「面白い」を作る

スケザネ:さっきのラーメンじゃないけど、うまいラーメンと、そうでないラーメンがあるように、面白い物語と、そうでない物語がある。じゃぁ、その「面白い」というのはラーメンみたいに作れるのかな。


Dain:「面白い」を作るのに、2つのアプローチがあると思う。一つは、素材やテーマとしての面白さ。生と死や、セックス、金、健康といった定番のもの。『SAVE THE CAT の法則』では、「原始人でも分かる、プリミティブな感情や欲求をテーマにすると、「面白い」を引き出せる。

もう一つは、素材やテーマの「やり方」のアプローチ。見た目や盛り付け、出す順番など、料理の仕方としての面白さがあると思う。そしてこれこが、『物語の力』の根幹になると思う。


スケザネ:とっかかりとして、現実の問題を少しずらす手法、これファンタジーでよくやるよね。テーマとしての面白さがあるけれど、現実をそのまま描けないときに、例えば「魚人族が差別されていました」(ワンピース?)のように。現実世界では、黒人差別に通底するところがある。あるいは、「取り返しのつかない大規模な爆弾」(コード・ギアス)だと、核爆弾を想起させるとか。

何もないところから作るのは難しい。だから、現実に起きている問題を、ファンタジックにするとどうなのだろう? という問いかけは、作り手としてする思考実験。


高等遊民:『ズートピア』とか典型かなぁ……


Dain:なにそれ気になる! ネタバレにならない程度に詳しく。


高等遊民:『ズートピア』……ウサギが主人公なんだけど、いろんな動物、草食動物も、肉食動物も、平和に和気あいあいとして暮らしているのが、ズートピアという世界。でも、根源的には草食動物は肉食動物を恐れているし、肉食動物は、どこかで自制している。教育の力で本能は自制されているけれど、狐はウサギを捕食する、だから狐に気をつけろ、といわれる。少数の肉食動物と、圧倒的多数の草食動物で、ズートピアの頂点にいるのは百獣の王ライオンの市長になる。で、副市長は女性で羊。


スケザネ:アメリカっぽいな。


高等遊民:そう、マジョリティとマイノリティ、有色人と白人という構造。これはまさにアメリカ社会をモデルとしているんじゃないか。数が少ないけれど、圧倒的な力を持ち、最初から支配的な立場だった、一部のエリートをうまく描いている。これ、傑作じゃないかな。


Dain:ありがとうございます、観ます!


スケザネ:観てない方は『ライフイズビューティフル』と『ズートピア』を……


Dain:観ろと。



タケハル:さっきの「物語のテーマ」の話を伺ってて、漱石の『文学評論』で似たようなのを思い出した。ウィットとユーモアの違いというやつ。お金とかセックスとか、文化の違いに関係なく味わえる笑いがユーモアになる。そして、もうちょっと知識が必要で、スウィフトの話が出てくる

……あるところに三人の兄弟がいた。長男は父親から衣鉢を譲り受けてもらった。次男と長男は仲が悪くて、三男は、離れたところで暮らしてて、お父さんの言うことを守っている……

これだけ聞くと、なんのことか分からないけれど、結局、キリスト教の風刺になる。長男は「カトリック」、次男が「プロテスタント」、そして三男は「ギリシャ正教」になる。


Dain:なるほどー!


スケザネ:wwww


タケハル:バックグラウンドを知っていないと、面白さが伝わらない。でも、知っていると、面白い。これがウィット。カトリックとプロテスタントって仲悪いよねって、直接言われると、話にも何にもならないけれど、今の三兄弟の話にすると、違う感覚で現実を見ることができる。


Dain:面白い! 三兄弟の話のとき、「キリスト教」のキーワードが出る前に頭に浮かんだのが、三匹の子豚の話。イソップも何かを寓意しているはずなので、ちょっと調べます!


スケザネ:私は「ユダヤ」「キリスト」「イスラム」を思い出しましたね。


タケハル:これ、バックグラウンドを明かさないと、各人で勝手に連想がつながっていくよね。面白い。



スケザネ:作るときって、「これ寓意してやろう」と考えたりします?


タケハル:僕はあんまりやらない、ル=グインやトールキンの影響を受けていて、彼らは寓話は嫌いなんです。寓話だと、結局それが言いたかったので、で終わっちゃう。


スケザネ:自分は結構どこかで考えながら作っちゃう。無のところからではなく、「寓意とは」というところからでもなく、これをどうやって換骨奪胎しようかな、という発想はよくしますね。


タケハル:それはありますね。最初は身近な事件とかをきっかけにするのはあるけれど、それを転がしていくうちに、そもそもスタート時点がどうだったかは気にならなくなる。


スケザネ:寓意というテーマだと、寓意が徹底された時代がありましたね。中世の『薔薇物語』とかダンテの『神曲』とか。愛情くんと勇気くんが手に手を取って、憎しみくんを倒します的な……


Dain:まさにアンパンマンwww


タケハル:インサイド・ヘッドwww


スケザネ:そうそう、『インサイド・ヘッド』みたいな。いまもアンパンマンのオープニングとか聞くと、「ああ、ダンテだな」なんて思うwww これ、キリスト教とか宗教につながっているのかも。宗教がプリミティブな形であったところに寓意、アレゴリーがあったのでは。
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