雲仙岳 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雲仙岳(うんぜんだけ)は、長崎県の島原半島中央部にある火山。
広義では普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳からなる山体の総称。
「三峰五岳の雲仙岳」と呼ばれる。行政区分では島原市、南島原市、雲仙市にまたがる。
狭義ではいわゆる「三峰五岳」のうちの「三峰」を指すこともある。
1991年6月3日の火砕流
特に大規模な人的被害をもたらしたのは1991年(平成3年)6月3日午後4時8分に発生した火砕流であり、
取材に当たっていた報道関係者16名(アルバイト学生含む)、火山学者(クラフト夫妻と案内役)3名、
警戒に当たっていた消防団員12名、報道関係者に同行したタクシー運転手4名、警察官2名、選挙ポスター掲示板撤去作業中の職員2名、
農作業中の住民4名の合わせて死者行方不明者43名と多数の負傷者を出す大惨事となった。
この火砕流以降、島原市など地元自治体は強制力を伴う警戒区域を設定し最大11,000人が避難生活を余儀なくされたが、
以降の犠牲者は1名に抑えられている。
被災地域では噴火活動の終息に伴い堤防や地面のかさ上げ工事を実施し一部地域を除いて住民が再び住める環境が整えられた。
なお、火砕流で殉職した日本テレビのカメラマンが撮影していた映像が2005年6月になって発見・修復され、
避難を警告する警官らや、それを無視し火砕流が襲来する直前まで取材を続ける記者らの姿や音声が記録されていた。
この映像は、同年10月16日に「NNNドキュメント'05 解かれた封印 雲仙大火砕流378秒の遺言」として放送された。
報道について
被害の背景には当初発生した小規模の火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し、
十分な知識を持たない報道関係者が、取材のため「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。
これにより報道関係者は消防・警察も立ち入らない危険地帯に多く滞在することとなった。
また報道関係者は避難して無人となった人家に侵入するなどトラブルを起こし、
6月1日にはテレビ局の取材班による盗電も発生していたため、
消防団員、警察官が引きずり込まれる形で被災地域に出動せざるを得なかったとされる。
結果的に火砕流は報道陣の想像を超え、「定点」を飲み込んで犠牲者を出した。
この経緯に対し、消防団、警察官ならびに報道関係者にチャーターされたタクシー運転手は、
報道関係者のせいで犠牲になった被害者だとする批判が強まった。
しかし、火砕流の発生当時は、被災地域は拘束力のない避難勧告地域に指定されたのみで、住民も立ち入ることが可能であり、
実際に畑仕事や所用で立ち入っていた市民や、噴火と関係ない公務で立ち入っていた市職員にも死傷者が出た。
ゴーストタウンと化した地区の火事場泥棒などに対する警備の必要性もあった。
これらの事を踏まえると、報道関係者が避難勧告地域への立ち入りを自主規制していれば被害が少なくなっていたのは間違いないが、
報道関係者がいなければ消防団員や警察官の被害が全く無かったというわけではない。
住民からはむしろ、強い避難措置を打ち出さなかったことが被害の拡大を招いたという、行政に対する批判も強かった。
犠牲者発生以降はこの反省も踏まえ、6月7日に災害対策基本法に基づく警戒区域が設定され、無許可の立ち入りが禁止された。
これ以降は報道関係者が警戒区域内に入ることはほとんど無かったが、
その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張するジャーナリストらが許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあり、
報道のあり方が問われる事件となった。
■狼魔人日記様より引用
危険地域であることを示すため、公的機関の観測員、消防団員も勧告地域から撤退していた。
しかし、マスコミ関係者は、強制力がないことから、雇い挙げたタクシーとともに避難勧告地域内の「定点」に詰めていた。
そんな中、避難して無人の住民の家に無断で上がり込み、電気、電話を無断使用する事件が 起こった。
住民に不安が高まり、そのためもあって、いったん避難勧告区域外に撤退していた地元消防団は、
ふたたび避難勧告地域内に入り、見回りを始めていた。
これらのマスコミ関係者、タクシー運転手、消防団員、許可を得て中に入っていた地元住民が火砕流に巻き込まれ死んだ。
消防団員以外の地元犠牲者はたしか5名。それ以外が約35名。
避難勧告地域の境界で検問をやっていた警察官2名は、火砕流発生の連絡を聞き、中の人たちに知らせるために勧告地域内に入り、殉職した。
そしてこれが重要なんだが、火砕流の到達範囲は、まさに避難勧告地域内におさまっていた。
避難勧告をマスコミが守ってさえいれば、死者数ははるかに少なくて済んだに違いない。
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 18:55:51 ID:J5ssSuib
当時消防団員だったからよく覚えているよ。
手柄狙いで勝手に居座ったマスコミのために、行かなくてもよい団員が行かされて焼け死んだんだよ。
消防団員って素人だよ。プロの消防士じゃなくて、ほぼボランティアなのに、命令でそこに派遣されたんだよ。
で鬼畜なのはマスコミ
その後、何年もこの事件を取り上げるたびに、多くのマスコミ関係者などが犠牲となったって枕詞で始めやがる。
で、死んだマスコミ関係者の話を美談として自分語りする。
あの現場には、新婚の団員や、子供が生まれたばかりの団員や、もうすぐ結婚するはずだった団員や、親の介護してた団員がいたんだぞ。
マスコミはそんなこと一つも報道しないけどな。
もう一度言うが、その団員達はそこに居たくて居たんじゃない。
■avalon keiko,s Blog様より引用
○当時の地元の人の声
消防団員の弁
消防団はあんな所まで行く必要はなかった。下に避難しとったんだ。それをテレビ局が留守宅に入り込んだんで、しかたなく戻ったんだ
おたくらは仕事だ。給料もらってんだろ。うちらは奉仕よ。何が報道の自由だ。あんたらさえいなければ、被害は半分もなかった
島原警察署の上野松造次長
モラルの低下もあったし、危険なのでマスコミには下がってほしいと何度もいった。
自分の命は自分で守るなどといっていた記者さんもおったが、記者を避難させようとして巻き込まれた者もおるとです
島原市災害対策本部 林田正生市民課長 59
ある地区で、雨で土石流の危険が増して避難しようとしているところを、
泥のついた靴のまま板張りの部屋へ上がりこんできて撮影した社があり、地区全体がマスコミ嫌いになったということもありました
報道検証の原点の日
というのも、あの6・3大火砕流は、報道関係者ばかりか地元の消防団員やタクシー運転手、警察官の命をも奪った。
マスコミは規制に耳を傾けず、住民を惨事に巻き込んでしまった。法規制と報道の使命をめぐり、盛んに論じられたころだ
▲高温ガスと熱風を伴って流れ下る火砕流は、まさに「絵」であった。
噴火活動の長期化で防災・避難対策から住民の生活再建、街の復興まで同時に迫られた。
それは格好の特ダネ合戦となった。惨事は過剰報道の中で起きた悲劇といえよう。重い教訓として残る
こーゆことには触れないのよね。カメラマンが亡くなって、まるで殉職したかのような放送でしたが。
亡くなった方はお気の毒だと思いますが、その巻き添えにした地元の方々へのお悔やみはないのかな、と。
私たちの責任と言うならば、やったこともちゃんと放送しましょうよ。
てことで、ここのところ政治関係の意図的な偏向報道でも辟易としていましたが、
新潟地震の時にも書きましたが、災害報道の報道ハラスメントてのもマスコミの害悪を表すものだと思うなり。
■2ちゃんねるの結構古いスレッドも現存していました
全員焼死体さながらに、M字に足を広げていた。
記事によれば、水、水といううめき声がひびきわたり、やめさせようとする看護婦の絶叫と重なり、
さながら阿鼻叫喚の惨状だったという。原爆投下直後の広島を髣髴させたとも。
気管が焼けていたので、結局全員助からなかった。
その時治療に当たっていた看護婦が婚約者だった。遺族のコメントを覚えている。
合掌
あの時は、火砕流が良く撮れる安全地帯(と思われていた)地点がやられた。
降りてこられずに、その場でやられた人達(多分即死)の遺体が、畑かなんかに転がってるのが、翌日の朝の時間帯に映ってたりした。
下まで降りてきた人は、その地点より下にいた人達だと思う。
TVに映った人達以外にも、片付けで自宅に居た為、靴底が溶けるような状態で避難した人たちもいたはず。
あと、直後のフライデーかフォーカスに、逃げ損ねた黒焦げのパトカー(うろ覚え)と逃げかけの遺体の写真が載ってたはず。
あの時の映像はとりみきが保存してそうだが、門外不出だろうな。
マスコミが避難勧告区域に入り、勝手に避難した住民の家に上がり込み電話や電気を使った。
一旦は避難勧告地域から撤退していた消防団員達は、彼らの監視も兼ねて再び避難勧告地域に
入っていった…
火砕流が発生したとき、連絡を受けた警察官は記者達に避難勧告しに入っていった…
マスコミに雇われたタクシー運転手、そして危険地区に入り込んでいたマスコミ本人達。
6月3日の火砕流の被災範囲は、避難勧告地域の中にとどまっている。
マスコミさえ規制を守っていれば…
その、素人の消防団が危険区域に留まる原因を作ったのは、そもそもがマスゴミ(盗電したNTV系)の連中だ。
警察にしたって、何度も何度も警告に行ったんだよ。それをマスゴミがゴネたんだ。
確か、マスゴミが警察官相手にゴネてたのも、映像には残ってたはずだ。
序に言えば、素人である地元の消防団はもちろんだが、消防や警察は、隊員の命を犠牲にしてまで
バカを助ける義務は本来無いんだよ。助ける義務があると思ってるなら、マンガやテレビの見すぎだ。
日本の公的機関で、訓練や技能で回避できない水準で、隊員の命が危険に晒される事が前提の
任務計画が容認されてるのは、自衛隊と海上保安庁だけ。
消防のレスキューや警察のSATでさえ、基本的には隊員の安全の方が優先だ。
ちなみに、件のNTVが復元した映像は、実際は最後に「もうだめだ」とかなんとか、断末魔の声が入ってる。
もちろん、NTVはNNNドキュメントで放送した際、その部分は都合よくカットした。
あと、当時の映像を流さないのは、規制というより、単に在京マスゴミの恥部だから。
この件だけは、長崎のローカルマスコミは、絶対に在京キー局の味方をしないことがわかってるしな。
ちょっとググってもわかるが、この件でマスゴミを擁護してる奴は、同業者か経緯を知らない奴しか居ないよ。
雲仙岳(うんぜんだけ)は、長崎県の島原半島中央部にある火山。
広義では普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳からなる山体の総称。
「三峰五岳の雲仙岳」と呼ばれる。行政区分では島原市、南島原市、雲仙市にまたがる。
狭義ではいわゆる「三峰五岳」のうちの「三峰」を指すこともある。
1991年6月3日の火砕流
特に大規模な人的被害をもたらしたのは1991年(平成3年)6月3日午後4時8分に発生した火砕流であり、
取材に当たっていた報道関係者16名(アルバイト学生含む)、火山学者(クラフト夫妻と案内役)3名、
警戒に当たっていた消防団員12名、報道関係者に同行したタクシー運転手4名、警察官2名、選挙ポスター掲示板撤去作業中の職員2名、
農作業中の住民4名の合わせて死者行方不明者43名と多数の負傷者を出す大惨事となった。
この火砕流以降、島原市など地元自治体は強制力を伴う警戒区域を設定し最大11,000人が避難生活を余儀なくされたが、
以降の犠牲者は1名に抑えられている。
被災地域では噴火活動の終息に伴い堤防や地面のかさ上げ工事を実施し一部地域を除いて住民が再び住める環境が整えられた。
なお、火砕流で殉職した日本テレビのカメラマンが撮影していた映像が2005年6月になって発見・修復され、
避難を警告する警官らや、それを無視し火砕流が襲来する直前まで取材を続ける記者らの姿や音声が記録されていた。
この映像は、同年10月16日に「NNNドキュメント'05 解かれた封印 雲仙大火砕流378秒の遺言」として放送された。
報道について
被害の背景には当初発生した小規模の火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し、
十分な知識を持たない報道関係者が、取材のため「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。
これにより報道関係者は消防・警察も立ち入らない危険地帯に多く滞在することとなった。
また報道関係者は避難して無人となった人家に侵入するなどトラブルを起こし、
6月1日にはテレビ局の取材班による盗電も発生していたため、
消防団員、警察官が引きずり込まれる形で被災地域に出動せざるを得なかったとされる。
結果的に火砕流は報道陣の想像を超え、「定点」を飲み込んで犠牲者を出した。
この経緯に対し、消防団、警察官ならびに報道関係者にチャーターされたタクシー運転手は、
報道関係者のせいで犠牲になった被害者だとする批判が強まった。
しかし、火砕流の発生当時は、被災地域は拘束力のない避難勧告地域に指定されたのみで、住民も立ち入ることが可能であり、
実際に畑仕事や所用で立ち入っていた市民や、噴火と関係ない公務で立ち入っていた市職員にも死傷者が出た。
ゴーストタウンと化した地区の火事場泥棒などに対する警備の必要性もあった。
これらの事を踏まえると、報道関係者が避難勧告地域への立ち入りを自主規制していれば被害が少なくなっていたのは間違いないが、
報道関係者がいなければ消防団員や警察官の被害が全く無かったというわけではない。
住民からはむしろ、強い避難措置を打ち出さなかったことが被害の拡大を招いたという、行政に対する批判も強かった。
犠牲者発生以降はこの反省も踏まえ、6月7日に災害対策基本法に基づく警戒区域が設定され、無許可の立ち入りが禁止された。
これ以降は報道関係者が警戒区域内に入ることはほとんど無かったが、
その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張するジャーナリストらが許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあり、
報道のあり方が問われる事件となった。
■狼魔人日記様より引用
64 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/04(月) 12:46:45 ID:er+ywW1V0
マスコミ関係者などが死んだ「定点」は、避難勧告がでていた。危険地域であることを示すため、公的機関の観測員、消防団員も勧告地域から撤退していた。
しかし、マスコミ関係者は、強制力がないことから、雇い挙げたタクシーとともに避難勧告地域内の「定点」に詰めていた。
そんな中、避難して無人の住民の家に無断で上がり込み、電気、電話を無断使用する事件が 起こった。
住民に不安が高まり、そのためもあって、いったん避難勧告区域外に撤退していた地元消防団は、
ふたたび避難勧告地域内に入り、見回りを始めていた。
これらのマスコミ関係者、タクシー運転手、消防団員、許可を得て中に入っていた地元住民が火砕流に巻き込まれ死んだ。
消防団員以外の地元犠牲者はたしか5名。それ以外が約35名。
避難勧告地域の境界で検問をやっていた警察官2名は、火砕流発生の連絡を聞き、中の人たちに知らせるために勧告地域内に入り、殉職した。
そしてこれが重要なんだが、火砕流の到達範囲は、まさに避難勧告地域内におさまっていた。
避難勧告をマスコミが守ってさえいれば、死者数ははるかに少なくて済んだに違いない。
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 18:55:51 ID:J5ssSuib
当時消防団員だったからよく覚えているよ。
手柄狙いで勝手に居座ったマスコミのために、行かなくてもよい団員が行かされて焼け死んだんだよ。
消防団員って素人だよ。プロの消防士じゃなくて、ほぼボランティアなのに、命令でそこに派遣されたんだよ。
で鬼畜なのはマスコミ
その後、何年もこの事件を取り上げるたびに、多くのマスコミ関係者などが犠牲となったって枕詞で始めやがる。
で、死んだマスコミ関係者の話を美談として自分語りする。
あの現場には、新婚の団員や、子供が生まれたばかりの団員や、もうすぐ結婚するはずだった団員や、親の介護してた団員がいたんだぞ。
マスコミはそんなこと一つも報道しないけどな。
もう一度言うが、その団員達はそこに居たくて居たんじゃない。
■avalon keiko,s Blog様より引用
○当時の地元の人の声
消防団員の弁
消防団はあんな所まで行く必要はなかった。下に避難しとったんだ。それをテレビ局が留守宅に入り込んだんで、しかたなく戻ったんだ
おたくらは仕事だ。給料もらってんだろ。うちらは奉仕よ。何が報道の自由だ。あんたらさえいなければ、被害は半分もなかった
島原警察署の上野松造次長
モラルの低下もあったし、危険なのでマスコミには下がってほしいと何度もいった。
自分の命は自分で守るなどといっていた記者さんもおったが、記者を避難させようとして巻き込まれた者もおるとです
島原市災害対策本部 林田正生市民課長 59
ある地区で、雨で土石流の危険が増して避難しようとしているところを、
泥のついた靴のまま板張りの部屋へ上がりこんできて撮影した社があり、地区全体がマスコミ嫌いになったということもありました
報道検証の原点の日
というのも、あの6・3大火砕流は、報道関係者ばかりか地元の消防団員やタクシー運転手、警察官の命をも奪った。
マスコミは規制に耳を傾けず、住民を惨事に巻き込んでしまった。法規制と報道の使命をめぐり、盛んに論じられたころだ
▲高温ガスと熱風を伴って流れ下る火砕流は、まさに「絵」であった。
噴火活動の長期化で防災・避難対策から住民の生活再建、街の復興まで同時に迫られた。
それは格好の特ダネ合戦となった。惨事は過剰報道の中で起きた悲劇といえよう。重い教訓として残る
こーゆことには触れないのよね。カメラマンが亡くなって、まるで殉職したかのような放送でしたが。
亡くなった方はお気の毒だと思いますが、その巻き添えにした地元の方々へのお悔やみはないのかな、と。
私たちの責任と言うならば、やったこともちゃんと放送しましょうよ。
てことで、ここのところ政治関係の意図的な偏向報道でも辟易としていましたが、
新潟地震の時にも書きましたが、災害報道の報道ハラスメントてのもマスコミの害悪を表すものだと思うなり。
■2ちゃんねるの結構古いスレッドも現存していました
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 19:55:35 ID:Q/zqznAc
体育館に大ヤケドした人々が収容され、治療を受けている映像を覚えている。 全員焼死体さながらに、M字に足を広げていた。
記事によれば、水、水といううめき声がひびきわたり、やめさせようとする看護婦の絶叫と重なり、
さながら阿鼻叫喚の惨状だったという。原爆投下直後の広島を髣髴させたとも。
気管が焼けていたので、結局全員助からなかった。
18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 06:16:00 ID:Wbf4JJla
ふらふら歩いていた人は確か消防団員だった。数日して亡くなったような。 その時治療に当たっていた看護婦が婚約者だった。遺族のコメントを覚えている。
合掌
34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 01:47:38 ID:GFnomxeA
真っ黒になってた人たちは全員亡くなったから、映像はもう出せないと思う。 あの時は、火砕流が良く撮れる安全地帯(と思われていた)地点がやられた。
降りてこられずに、その場でやられた人達(多分即死)の遺体が、畑かなんかに転がってるのが、翌日の朝の時間帯に映ってたりした。
下まで降りてきた人は、その地点より下にいた人達だと思う。
TVに映った人達以外にも、片付けで自宅に居た為、靴底が溶けるような状態で避難した人たちもいたはず。
あと、直後のフライデーかフォーカスに、逃げ損ねた黒焦げのパトカー(うろ覚え)と逃げかけの遺体の写真が載ってたはず。
あの時の映像はとりみきが保存してそうだが、門外不出だろうな。
63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 21:01:48 ID:Ny+5v273
本当なら1991年6月3日の死者は1/10で済んだはずだった。 マスコミが避難勧告区域に入り、勝手に避難した住民の家に上がり込み電話や電気を使った。
一旦は避難勧告地域から撤退していた消防団員達は、彼らの監視も兼ねて再び避難勧告地域に
入っていった…
火砕流が発生したとき、連絡を受けた警察官は記者達に避難勧告しに入っていった…
マスコミに雇われたタクシー運転手、そして危険地区に入り込んでいたマスコミ本人達。
6月3日の火砕流の被災範囲は、避難勧告地域の中にとどまっている。
マスコミさえ規制を守っていれば…
104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 16:41:06 ID:ndaGlVPB
巻き添え食ったのは、消防隊員じゃないぞ。地元の”消防団員”だ。つまり、単なる素人。 その、素人の消防団が危険区域に留まる原因を作ったのは、そもそもがマスゴミ(盗電したNTV系)の連中だ。
警察にしたって、何度も何度も警告に行ったんだよ。それをマスゴミがゴネたんだ。
確か、マスゴミが警察官相手にゴネてたのも、映像には残ってたはずだ。
序に言えば、素人である地元の消防団はもちろんだが、消防や警察は、隊員の命を犠牲にしてまで
バカを助ける義務は本来無いんだよ。助ける義務があると思ってるなら、マンガやテレビの見すぎだ。
日本の公的機関で、訓練や技能で回避できない水準で、隊員の命が危険に晒される事が前提の
任務計画が容認されてるのは、自衛隊と海上保安庁だけ。
消防のレスキューや警察のSATでさえ、基本的には隊員の安全の方が優先だ。
ちなみに、件のNTVが復元した映像は、実際は最後に「もうだめだ」とかなんとか、断末魔の声が入ってる。
もちろん、NTVはNNNドキュメントで放送した際、その部分は都合よくカットした。
あと、当時の映像を流さないのは、規制というより、単に在京マスゴミの恥部だから。
この件だけは、長崎のローカルマスコミは、絶対に在京キー局の味方をしないことがわかってるしな。
ちょっとググってもわかるが、この件でマスゴミを擁護してる奴は、同業者か経緯を知らない奴しか居ないよ。
コメント一覧
長い
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長い
「自衛隊の救助体制の不備に批判の声があがっている」とか報道してた。
大きなイベントの多い年だな
マスゴミは実に腐ってる
なんでアウトを4つも5つも取られてるのにチェンジしないんだ?
修学旅行2日目、雲仙のホテルに泊まる
修学旅行4日目、阿蘇山へ行く
その日、阿蘇山噴火の為、登山禁止になっていたが解除された
でも、禁止されてたときに予定を立てられたので阿蘇山は休憩だけでスルー
そして修学旅行終了後、普賢岳噴火
こういうことがあったなぁ
知らなかった事を知る機会が出来たのは良い事だと思う
ハッキリ言えることはマスゴミは人間のクズってこった
あとこの程度の文章を長いと思ってる輩もマスゴミとたいして変わらん
まぁマジレススマソ
笑えるコピペなわけだが・・・
うん、長い
面白いコピペである
長いけど
最後まで読めた