「先住民族女性と白人の女性開放論者のちがいは、白人フェミニストたちは権利を主張し、先住民女性は負うべき役割について主張しているところだ。このふたつは大きく異なる。わたしたちの役割とはこの世界にあるわたしたちの土地を守ることだ。」
上の言葉は、ネイティブアメリカン(インディアン)のある女性が、彼らの生活を追ったレポートの中で語った言葉です。この言葉には、先の投稿で三ケ本氏が書かれていた、アイヌの女性の言葉と同じ心を感じます。
両者(ネイティブアメリカンとアイヌ)に共通しているのは、男女の分業・役割分担を「ジェンダーの優劣」とは、考えもせず,自らの女性としての役割と責任を心得、また、それを何よりも重要視している点でしょう。「女性の務め」「負うべき責任」という毅然とした言葉に、その心がよく表れていると思います。
ところが、この「女性の役割・負うべき責任」という彼女らの精神は、欧米人的価値観から見れば、「女性の権利の侵害」はたまた「女性の奴隷化」と捉えられるのですからその価値観の違いには、圧倒的な壁が存在します
「権利の主張」と「役割の主張」
この相違をもたらしている背景には、どのような理由があるのでしょうか。
地理的違いなどの物理的要因、民族の違いによる精神的違いなどももちろんあるでしょうが、その背景には、私権社会における性市場の存在と、それがもたらした女性尊重精神の欠如があるのではないかと私は考えています。
ネイティブ・アメリカンには数々の女性賛美の言葉が存在します。
「この星は、われわれがずっと生活してきた家である。女性はその骨で大地を支えてきた。」
「女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と女性を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。
生命を産むのは女性である。女性が昔から感じとっていた眼にみえない大きな力との関係を男たちが理解し始めるなら、世の中はよりよい方向に変化し始めるだろう。」
「女は永遠の存在である。男は女から生まれ、そして女へと帰っていく。」
「女性が死にたえるまで、部族が征服されることはない。」
これらは、そのような「女性賛美」の言葉の一部であり、性市場のように「女の性的価値」に左右されることなく、全ての女性に贈られた言葉です。
ネイティブ・アメリカンの男達は、男よりも女を敬い女が民族の支えであることを理解しているのです。
これに対し、西洋を中心とする私権社会では、女性の評価は、商品としての性的価値に委ねられています(左右される)。
男性にとって女性は「ものにするもの」であり、自らの性的欲求の矛先に過ぎません。
このような関係では、ネイティブ・アメリカンに見られるような女性への尊敬、女性賛美の心など生まれるはずもありません。ですから、西洋社会に存在する女性に向けられた言葉は、ある特定の女性(価値を認めた女性)にのみ贈られた言葉しか存在しないのです。(これが恋愛物語)
まとめると
①ネイティブの社会において女性は「尊敬」されている
②それゆえに女性は女性としての価値を知り、
③その役割の重要性を認識している、「自らの務め」を知っている
私権社会において女性は商品として「評価」されている、それゆえに女性は個人としての価値にのみ関心があり、その価値を高めるため、より広い「自らの権利」を主張すると言ったところでしょうか。
このように考えると、「女性の権利」という西洋的価値観は性市場という歪んだ世界の中で、「本来の女性の価値」がないがしろにされ「性的商品としての女性の価値」に摩り替えられたがために発生した、歪みに歪んだ価値観であることがはっきりわかります。
上の言葉は、ネイティブアメリカン(インディアン)のある女性が、彼らの生活を追ったレポートの中で語った言葉です。この言葉には、先の投稿で三ケ本氏が書かれていた、アイヌの女性の言葉と同じ心を感じます。
両者(ネイティブアメリカンとアイヌ)に共通しているのは、男女の分業・役割分担を「ジェンダーの優劣」とは、考えもせず,自らの女性としての役割と責任を心得、また、それを何よりも重要視している点でしょう。「女性の務め」「負うべき責任」という毅然とした言葉に、その心がよく表れていると思います。
ところが、この「女性の役割・負うべき責任」という彼女らの精神は、欧米人的価値観から見れば、「女性の権利の侵害」はたまた「女性の奴隷化」と捉えられるのですからその価値観の違いには、圧倒的な壁が存在します
「権利の主張」と「役割の主張」
この相違をもたらしている背景には、どのような理由があるのでしょうか。
地理的違いなどの物理的要因、民族の違いによる精神的違いなどももちろんあるでしょうが、その背景には、私権社会における性市場の存在と、それがもたらした女性尊重精神の欠如があるのではないかと私は考えています。
ネイティブ・アメリカンには数々の女性賛美の言葉が存在します。
「この星は、われわれがずっと生活してきた家である。女性はその骨で大地を支えてきた。」
「女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と女性を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。
生命を産むのは女性である。女性が昔から感じとっていた眼にみえない大きな力との関係を男たちが理解し始めるなら、世の中はよりよい方向に変化し始めるだろう。」
「女は永遠の存在である。男は女から生まれ、そして女へと帰っていく。」
「女性が死にたえるまで、部族が征服されることはない。」
これらは、そのような「女性賛美」の言葉の一部であり、性市場のように「女の性的価値」に左右されることなく、全ての女性に贈られた言葉です。
ネイティブ・アメリカンの男達は、男よりも女を敬い女が民族の支えであることを理解しているのです。
これに対し、西洋を中心とする私権社会では、女性の評価は、商品としての性的価値に委ねられています(左右される)。
男性にとって女性は「ものにするもの」であり、自らの性的欲求の矛先に過ぎません。
このような関係では、ネイティブ・アメリカンに見られるような女性への尊敬、女性賛美の心など生まれるはずもありません。ですから、西洋社会に存在する女性に向けられた言葉は、ある特定の女性(価値を認めた女性)にのみ贈られた言葉しか存在しないのです。(これが恋愛物語)
まとめると
①ネイティブの社会において女性は「尊敬」されている
②それゆえに女性は女性としての価値を知り、
③その役割の重要性を認識している、「自らの務め」を知っている
私権社会において女性は商品として「評価」されている、それゆえに女性は個人としての価値にのみ関心があり、その価値を高めるため、より広い「自らの権利」を主張すると言ったところでしょうか。
このように考えると、「女性の権利」という西洋的価値観は性市場という歪んだ世界の中で、「本来の女性の価値」がないがしろにされ「性的商品としての女性の価値」に摩り替えられたがために発生した、歪みに歪んだ価値観であることがはっきりわかります。
コメント一覧
スゲーっす
ちゃんと嫁
たぶん「女性を尊敬」とか都合よく使えそうな部分だけ見て自分に有利な結論に持っていくと思うよ
言葉の引用に終始してる。
一応読んだよ! でも難しすぎて理解できねえ!
この一文に悪意を感じます。ただの偏見のコピペだと思うよ。
このコピペに関心してしまった人はあと一文一文をしっかり理解しながら読み返してください。
最後の10行を無視して自分なりに考察してみてください。
まあ、日本にも『女性としての義務』を放棄して、
『女性としての権利』を要求し続けるバカが多いのもまた事実
淑女ならずしてレディファーストを求める姿勢には呆れかえる
少なくともネイティブアメリカンがそういう思想を抱いていた点は
偏見も何もなく事実だと思うし(歪曲とも見えないが?)、
俺は素直にそれに感心するし、いいことを言っていると感じたが。
まとめの部分も全くもってその通りだと思うし。
ただ、この筆者は西洋の性観念に関して勉強してないな。
批判対象をステレオタイプな薄っぺらい悪とだけ見ている気がする。
本田透の『電波男』でも、偏向まみれだがもう少し良いこと言ってるよ。
ああ、その通りだと思ったのは箇条書きの部分な。
ラスト2段落は同意出来ん。
というのか※11は何故「ラスト10行」なのか分からん。
問題にするならその前の6行だと思うんだが。
潰瘍
「女性の権利」という「歪みに歪んだ」価値観の元は、
「商品としての性的価値」という歪んだ価値観から成り立っていると書いてるな。
共に否定されても仕方無いと思うが。
まあ自分も似非フェミは根絶されて欲しいと思っているので、
いくら歪曲して理解しようが構わないが。
男だけいればいいよ
あたしはずっとそう考えています