浮気した元彼に最後の晩餐として公園の鳩と雀を調理して出したについたコメント

21  名前::2018/07/13(金) 22:16:14  ID:S0AdkBKE PCからの投稿

鳩は平和の象徴とされながら、害獣として駆除されている現実がある。
いつだって概念と日常は矛盾してるんだ。

たとえば、ふんどしは男らしさの象徴であり、いなせですがすがしく
それを締めている男は豪傑にして清廉。しかし各地の裸祭りにおいて、
ふんどしは下品だしやめよう、着用するなら法被の裾で隠しましょう、
などとおちんちんの小さそうな人たちが、いかにも正義漢の顔をして
意見を通そうとする。いや、おちんちんが小さいことはいいんだけど、
それに無意味なコンプレックスを持って「男が人前で素っ裸になること」
それ自体を否定するような困った人たちのことね。結局、討論の場で
いちばん声の大っきい人、もしくは「テストの点数がよさそうな人」に
誰しも追従せざるを得ないのかな。

正論と正解は別物なのに、正論という形式をもってさまざまな悦楽が
潰されている。男の汗臭さ、裸踊り、私欲の殺人犯を死刑にすること、
その場に男しかいないのであればセンズリを見せても構わない寛容さ……
正解なんてどうでもいい、正論を言って何かを追い詰めて撲滅したい、
その考えの根源は、言うまでもなく「自己都合」なんだよね。けれども
持続したい側だってしょせんは「自己都合」なんだよ。今の世の中って
実りのある正解よりも、正論をぶつけ合うケンカに意味を求める人が
多いんだよね。だからこそ俺は、皇居前広場を洗濯してない柔道着で
このクソ暑いなかを闊歩し、観光客のおっさんに「汗くせえなあ」と
顔をしかめられたら一気にふんどしまではずして全裸の裸踊りをする……
そんな諧謔と純朴さを併せ持つ、例えて言うなら雀のような健気さを
感じさせる還暦過ぎの白髪坊主のおっさんになりたい。生きざまは雀、
したたかさは鳩、そして男臭さは勇ましい鷹のようにね。
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