本能寺が変についたコメント

12  名前::2019/02/11(月) 20:08:06  ID:ONlxhyju PCからの投稿

『本能寺』がどんなお寺だったのか、名称からして
興味あるね。ふんどしいっちょの修行僧の集団と、
対峙するやはりふんどしひとつの裸の男臭い住職。
住職が「こだわりを捨て、本能のままに生きよ!」と
叫びながらふんどしをはずし、修行僧たちも当然
それに倣う。全裸のお坊さんたちが寺社のなかや
境内を走りまわり、普段の禁欲生活から硬く硬く
勃起したサオで障子を突き破りまくり、ひとりが
全裸で木魚を叩き、ポクポクポクポクに合わせて
皆で裸踊り。時たま鈴を鳴らし、チーン!の音に
整列して腰を突き出し、勃起をならべる。さらに
弁天様の前で見せつけるようにしてセンズリ大会。
露骨な滝行と称して住職が全裸の大の字で仰臥し、
その顔面に大量の浣腸液を注入したを僧侶たちが
放尿し、脱糞し続ける。これは俺の説なんだけど、
明智小五郎はもともと謀反を起こす気は毛頭なく、
このような淫らな寺の存在が許せなくて放火した、
そうは考えられないだろうか……そこにたまたま
信長が帰蝶と蘭丸と行楽に来ていたとか。

光秀はある一時期から確実に心を病んでるね……
最初の丹波攻めでは波多野秀治の策略により敗戦。
信長は厳しい処分はしなかったと思う。その後の
本願寺との戦い(天王寺の戦い)では、主力だった
塙直政の軍が早々に敗れ、後方の砦を守っていた
光秀軍が危機に陥ったが、信長はその救助のため、
かなり慌てて兵の招集をかけている。この一件で
信長は塙一族を追放したんだが、光秀をそれだけ
大切にしていたのではないか。また、救出の際に
信長は、本願寺の雇った雑賀衆(プロ鉄砲隊)から
被弾しており、それらの出来事が光秀の負い目を
煽ったのかもしれない。その後、光秀は病に伏せ、
回復したものの、まもなく正室の熙子が病死する
(熙子とのあいだにもうけた娘が後の細川ガラシャ。
同じ織田家家臣で光秀と懇意にしていた細川藤孝の
息子に嫁がせた)……

光秀は帰蝶と従兄妹の関係で、美濃時代から恋仲で
信長を恨んだとか小説やドラマでは描かれてるけど、
それも真実かもね。謀反は「武士として」ではなくて、
追い詰められたひとりの男の「心」が起こしたんだ。
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