ホントすいませんでした。についたコメント

5  名前::2009/08/01(土) 00:41:06  ID:mU6CRUeF 携帯からの投稿
人生とは悟りに至るための苦行であります。
悟りとは、究極の自我同一もしくは、究極の自己拡散に外ならない。
究極の自我同一とは、唯我独尊であります。究極の自己拡散とは、全ての中に自己を見出だす、いわば他人=自分であります。
いずれの考え方にせよ、突き詰めたところにあるのは絶対的な「自己」であります。

しかるに、既に悟りを得た仏陀が、転生による修業を必要としているでありましょうか?否、断じて否であります。
悟りを得るための修業とその後の修業に異なるものが求められるであろうことは、あなたでも容易に理解できるでしょう!

では、仏陀の転生体は存在はするのか?否、これもまた否であります。修行の継続はすでに否定されています。唯我独尊であれば、他者の救済は意味を持たない。自己拡散であれば、悟った自分=全ての他者であり、救われるべき自分は存在しない。

となれば、仏陀の転生体を自称することは、「自分は嘘つきである」と公言するに等しいことになります!


・・・って話し続けたら、相手の女の子が泣き出したけど、俺は許さなかったよ。数少ない休日、しかも徹夜明けに家に押しかけてきて電波飛ばしてるやつは、いくら初恋同級生だろうと泣かす。
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