そういうのはワシらの仕事やからについたコメント

18  名前::2010/03/01(月) 11:32:32  ID:h/nujSE7 PCからの投稿
母親の実家が甲子園、姉の嫁ぎ先の実家が神戸、父と一緒に水と食料を持っていった。
何処をどうやって電車に乗って、バスに乗って、歩いたかは覚えていない。
戦前に生まれた父が、
「空襲の後みたいだ。
と言った言葉を覚えている。
後、何処かでバスに乗ったとき、自衛官が一人の男のを子をバスに乗せた。
「XX避難所まで行かれる方、お見えでしたらこの子をお願いできませんでしょうか。」
すると私の前に座っていた年配の方が、
「おお、その子はしっとる。
わしと一緒に帰ります。」
と言って、その子を呼んだ。
自衛官が、
「バス代、いくらですか?」
と運転手に聞くと、
「いや、いいですいいです。」
と言うのが聞こえた。
その少年が、私の前に座っていた男性の前に来ると、男性は色々と話しだした。
「今日はご飯、何かなー?」
とか、
「今日は、お風呂は入れるから、一緒に入ろうな。」
とか。
少し黙ってから男性は、
「ところで、家行ってきたんか。」
うなずく少年。
「そうか・・・。
お父さん見つかったか?」
少年は首を振った。
「お母さんは、お姉ちゃんはどうやった?」
またもや首を振る少年。
私は、その会話をついつい耳に入ってしまったのですが・・・。
その場はぐっと我慢しましたが、後から思い出したら涙が止まらなかった。
今でも、あの阪神淡路大震災の投稿が出ると、あの少年のことを思い出す。
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