ネパールの現実についたコメント

24  名前::2010/03/04(木) 23:17:25  ID:bUuvxl2k PCからの投稿
言語ってもっと根源的なものだよ。みんなも物事考える時は、頭の中で日本語を使っているでしょ?
概念を定式化したのが言語で、人はその言語の組み合わせることによってより高度な思考が出来るようになったんだ。
もし言語がない世界があったら、おそらく人はイメージでしか思考できないはず。
「飴が好き」こんな簡単な思考でさえ、言語がなければ「あまい」や「あかい」といったイメージと「食べたい」という欲求の組み合わせになってしまう。
分かりにくいかもしれないけど、言語のない思考を粘土に、言語を伴った思考を積み木に置き換えて考えてみてほしい。
言語という定式化されたツールがない場合、人は何かを考える際に一から粘土を練って何かを作らなければならないし、出来上がったものを保存することが出来ない。次に何かを考える時はまた一から練り直しだ。
言語は、そんなイメージを形にして固定したものだから、四角い積み木が「飴」三角のが「好き」だとしたら、それを横に並べるだけで「飴が好き」というより複雑な思考が簡単に出来上がる。より多種多様な積み木を持っている人は、それを立体的に組み立てたり、横に並べたりして更に高度な思考が出来るんだ。
第二言語を習得するということを積み木で例えるなら、元々第一言語として持っていた黄色い積み木を赤色の積み木に置き換えていく作業になるんだ。そう考えれば、元々黄色の三角形の積み木を持っていない人が、赤色の三角形の積み木を手に入れることが難しいことが想像できると思う。
教育と第二言語の関係の説明でした。
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