6 : 6[sage] 投稿日:02/12/05 19:58 ID:gwACxe4w
微妙に趣旨とは違う気もするけど自分の話でも私は自分が物心付かない頃から両親の離婚で母親の実家で
暮らしていた。母親が父親代わりというか、働いてお金入れる。
祖母が母親代わりに面倒見るという環境。
兄の虐待のお陰で思いやりとか愛情とかとは無縁と思われた
子供時代だった。心に芽生えたのは憎しみだけ。そして
その憎しみはすべて母親に注いだ。
自分だけのせいかはわからないが母親の心は壊れた。
子供心に自分の限界を感じ父親の元へ逃げた。
そして愛情のない父親からもまた逃げた。
遠く離れた土地まで逃げてきた。
私も大人になり、母親への憎しみは消えていた。
手のひらを返したように急に優しくしたり電話をしたりはできないが
これから自分が結婚して子供でもできたら相談がてら電話したり
多分いい関係に持っていけるだろうと思っていた。
7 : 6[sage] 投稿日:02/12/05 20:11 ID:gwACxe4w
地元を離れて2年たったある日、仕事から一人暮らしの部屋に帰ったら留守電のランプが点滅していた。
留守電なんてほんとに滅多に入ることはないのに
なんだろう?無言かな?と思いながら再生ボタンを押して
着替えようとしていた。二件も入っていた。
母親が死んだ。
すぐには理解できなくてタバコに火をつけた。
最初に思ったことは「自殺」
そして自分が今何をすればいいのかすぐにはわからなかった。
結局パニくって色んなとこに電話して、最終の飛行機に乗った。
すでに葬儀場に行っていた母親のもとに着いたのは12時を回るところ。
私が家を出る前後から欝気味だったので親戚一同自殺だと
思ったらしい。まだ40代だし。ひとり、近くに住んでいた祖母を除いて。
8 : 6[sage] 投稿日:02/12/05 20:38 ID:gwACxe4w
詳細は着いてから聞いた。ガンだったらしいがそれが初めてわかったのは死体検案。
部屋で血だらけになって一人冷たくなっていたとのこと。
日程的に、翌日の昼間は空き時間があるので母親の部屋を見に行った。
一人暮らしだったので数日間放置はどうかとも思い。
ほんとうに血だらけだった。
荷物の片付けも葬儀が終わったらしなくてはならないので
どんなものがあるのか見ていた。
自分が生まれたときの母子手帳や足形、そして小さいメモ帳があった。
しばらく削ってないだろうと思われる太い鉛筆の字で
平成○○年 ○○才 (兄) ○○才 (私) ○○才
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延々と母親が百ぅん才まで書かれていた。まだ出来ても居ないのに
孫の年まで数えていた。死体検案書よりなによりそれは母親が
自殺じゃなかったことを証明していた。