僕は唱歌が下手でした
陸軍憲兵曹長 佐藤源治命
昭和23年9月22日
ジャワ島バタビヤ(ジャカルタ)にて法務死
岩手県出身 32歳
一、
僕は唱歌が下手でした
通信簿の乙一つ
いまいましさに人知れず
お稽古すると母さんが
やさしく教へてくれました
二、
兄弟みんな下手でした
僕も弟も妹も
唱歌の時間は泣きながら
歌へばみんなも先生も
笑って「やめ」と言ひました
三、
故郷を出てから十二年
冷たい風の獄の窓
虫の音聞いて月を見て
母さん恋しと歌ったら
みんなが泣いて聞きました
四、
僕のこの歌聞いたなら
母さんきっとうれしさに
頬すり寄せて抱き寄せて
「上手になった良い子だ」と
ほめて下さることでせう
(昭和23年6月3日)
陸軍憲兵曹長 佐藤源治命
昭和23年9月22日
ジャワ島バタビヤ(ジャカルタ)にて法務死
岩手県出身 32歳
一、
僕は唱歌が下手でした
通信簿の乙一つ
いまいましさに人知れず
お稽古すると母さんが
やさしく教へてくれました
二、
兄弟みんな下手でした
僕も弟も妹も
唱歌の時間は泣きながら
歌へばみんなも先生も
笑って「やめ」と言ひました
三、
故郷を出てから十二年
冷たい風の獄の窓
虫の音聞いて月を見て
母さん恋しと歌ったら
みんなが泣いて聞きました
四、
僕のこの歌聞いたなら
母さんきっとうれしさに
頬すり寄せて抱き寄せて
「上手になった良い子だ」と
ほめて下さることでせう
(昭和23年6月3日)
コメント一覧
てことは終戦後3年ほどジャカルタに残ってて
マラリアにでもかかったか
法務死、または殉難死でググって来い。
中国に押し付けてやる!
そのたかがが重要なんだが
久しく離れれば、嫁の不味いメシが恋しくなる事もないわけではない。
獄死すること。
戦争犯罪人を裁く法律は日本にはないので(当たり前)
有り得ない死に方と言うことで、「法務死」という。
話は変わるが東京裁判ってのは戦勝国が敗戦国を裁くという歪んだ裁判といえる。中立の立場であるものが双方の主張を
聞いて判決を下すのが裁判であって、東京裁判は
アメリカによる見せしめのショウにおもえる。
その昔、ある全国紙が「靖国神社に合祀された韓国兵の位牌と遺骨は返還すべき」とコラムに書いた事がある。
ぶっちゃけ朝日新聞。
が、靖国神社はお寺や墓地では無いので、位牌どころか遺骨もない。
あるのは御神体の鏡と名簿と、「ここにいる」という観念。
こんな事は現地取材を5分もすればわかる筈なのに、おっと来客のようだ