大友家が敗れ、ついにその首都府内に 島津が乱入してきた時の事。
コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:UVHf5wr6
コピペ投稿日時:2011/07/06 22:19
コピペ投稿日時:2011/07/06 22:19
715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/07(金) 22:38:37 ID:MdlAUSIF
天正14年(1586)12月、戸次川の戦いで、大友家が敗れ、ついにその首都府内に島津が乱入してきた時の事。
主君、大友義統を逃すため、音に聞こえた大友家の勇者達、足立図書、吉良主水、小原平馬丞、
末武武蔵らは、追跡する島津軍に立ちはだかり、ことごとく討ち死にした。
しかしそのおかげで、大友義統たちはどうにか落ち延びる事ができた。
一息つくと、義統がにわかに、こんな事を言い出した。
「府内にわしの寵愛する女を残してきた!」そしてそばに付き従っていた臼杵刑部に、
「そのほう、今から府内に立ち戻り、なんとしても天野又兵衛の娘を連れ出してくるのだ!」
臼杵はすぐに引き返し、敵のあふれる府内に侵入。何度も危ない目に合い、二箇所も深傷を負いながら、
義統のいる高崎城まで、無事、女を連れ帰った。
大喜びの義統は、腰の太刀を抜くと、褒美として臼杵に与えようとした。
臼杵は突然立ち上がり、言った
『阿呆かおのれは!』
「最近の戦いで戦功を立てたものは自分のほかにいくらでもいる!なのに、その方々には
何の恩賞もなく、戦に何の役にも立たない女を連れ帰った私に褒美とは、どういうつもりだ!
そんなことだから、今このような恥辱にあっているのだ!
今日限りおぬしを、もう主君とは思わぬ!」
臼杵はそう言い捨てるなり、唖然とした顔の義統を背にし、堂々と出奔した。
コメント一覧
妖刀おっとりの錆にしてくれようぞ!
かわいいよね
めっちゃ本マニア・・?
曰く、例え上が愚かでも決して逆らわず身命を捧げるのが真の忠義だからだそうです
むしろ主が馬鹿であればあるほど、家来の忠節は立派なものとして称賛されるとか
中世中華の思想とはいえ、現代でも影響受けちゃってる人達が結構いるのがおっかないところですよ
確かにこの時代も忠義も美徳とされてるけど、やはり江戸時代に入ってからだな。
そう、だから結局時代が下って豊かになると、出奔や裏切りで身を立てた家は冷遇や迫害に会っちゃう
逆に、愚かでも従属した者が重用されるので実利よりも道徳が優先される事になるんだそうな
結果、社会は発展より停滞が進み、やがて衰退へ向かうと
そして、衰退が極まったところで再び戦国時代のような実益偏重主義へ…
こんなふうに、利益追求による発展と道徳盲信による衰退の足踏みサイクルに陥るのが儒教国家の特徴なんだそうです
じゃあ日本はそろそろ人権道徳そっちのけの実益偏重主義になるんだな
いや、まだまだではないですかね
実利的経済優先をうたった党より、道徳的幸福論を打ち上げた党が与党になったのが2年前ですから
利益より道徳が偏重されるのはこれからだと思いますよ
ゆるくて長い下り坂が急降下へと変わる節目に差し掛かった、と言ったとこでしょうか
うん、物凄い納得した
ありがとう!