コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:6bZdY83T
コピペ投稿日時:2011/12/16 18:33
コピペ投稿日時:2011/12/16 18:33
769 世界@名無史さん sage 2011/12/15(木) 21:49:49.16 0
江戸時代って、普通の侍は鎧を持っていないの? 忠臣蔵で討ち入りするときに着ていないよね?
明らかに戦闘になるのに?
771 世界@名無史さん 2011/12/16(金) 00:29:01.47 0
>>769 江戸時代、自分の家で鎧を持てるのは上士くらいで、
下士は非常時に貸し出されるのを使用するのが一般的だった上、
戦乱が絶えて太平期に入ると鎧は飾り物と化し、着用方法すら判らない武士がたくさんいた。
それに討ち入りは決戦直前まで伏せて行動するものだから、仰々しく武装するわけにもいかず、
着籠んでごまかしやすい鎖帷子が使用されたと思われる。
実際、赤穂浪士は火消しを装うために火事装束を使い、その下に鎖帷子を忍ばせていたという。
ちなみに忠臣蔵のドラマでは羽織姿の浪士組に、火事兜を被った大石内蔵助がおなじみだが、
もちろんあれは脚色である。旧暦12月14日(新暦の1月末)の深夜は厳寒で、
とてもじゃないがあんな格好では実際には風邪引いて戦えないよ。
カチコミかけに行くのがばれないように火消し姿に扮し、防寒対策を施した地味な面々が史実の赤穂浪士。
コメント一覧
吉良上野介「うむ、怪しいのぅ」
実際は夕方には雪はやんで月が出ていたという
ほとんど(数で押しただけ)だったんじゃないかな
坂の上の雲楽しめばいいじゃん。
俺は地デジ見れないけどさ。
斬り合うというよりも押しあいへしあいするばかりで
中には相手の刀を素手でつかむ剛の者(というかバカ)もいて
騒ぎのあとには雪の上に切り落とされた指がボトボト落ちていたらしい