コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:if8k7PFb
コピペ投稿日時:2011/12/25 02:12
コピペ投稿日時:2011/12/25 02:12
86 人間七七四年 [sage] 2011/12/21(水) 10:15:49.79 ID:fgUdyRsF Be:
寛永9年(1632)12月、加藤家に代わって肥後54万石を授かった細川忠利が、熊本城に入った。 20日には父の細川三斎も熊本にやって来て、大広間で祝いの酒宴が盛大に行なわれ、三斎が祝辞を述べた。
「……以上!しかし、めでたい。そうじゃ、誰か謡(うたい)をやらぬか?」
「では、中村靱負を。」呼びかけに応じた忠利が、金春流の免許を持つ中村靱負を指名した。
「いや、靱負は要らぬ。伯耆よ、仕れ。『四海波』じゃ。」三斎はこれを断ると、志水伯耆守清久を呼んだ。
清久は幽斎の代から細川家に仕えるも三斎と仲違いして出奔、加藤清正に仕えたが、関が原の戦いの際に
大友義統が挙兵すると、清正に願い出て旧友たちを救うべく石垣原合戦に参加、その事を知った三斎が
清正に頼んで細川家に帰参させたという、今日の場にふさわしい男だった。
「………………」
だが、永禄末年に19歳にして三好勢と槍を合わせたという清久の謡は、老齢からか、それとも祝いの席での
思わぬ名誉による感動からか、その声はかすれがちであり、満座の空気は沈んだ。
再び三斎が呼びかけた。
「お主ら、何をしておる。伯耆が謡っているのだ、みな唱和せぬか。」
「!……不調法を致しました、父上。やるぞ、皆の者!」
「「「四海波静かにて 国も治まる時つ風 枝をならさぬ御世なれや……」」」
『高砂』の一節を細川家一同で謡いあげ、家中の結束を見た三斎は、機嫌良く隠居所の八代に帰って行った。
(旦夕覚書より)
コメント一覧
なんかやっべーってことはわかったからとりあえずイイ!いれといた
文章もわかりやすいし雰囲気出てる
このコピペだけ見たってわからんだろ
A社のA社長と喧嘩したBが、転職する。
でも、A社がヤバいという噂を聞いたBは、転職先でA社のために自分の上司を説得して新規取引を始めてA社に貢献。
感動したA社長は、Bを呼び戻した。
やがて、忘年会では新社長のCが宴会部長Dにカラオケ歌えと命令。太ったDが全裸で歌い踊る少女時代は爆笑必至だ。
Dが服を脱いでいると、今は会長のAが、いやいや、ここはB君だろう。
Bは、予想外のご使命に戸惑いながらも中途半端に上手いユニコーンの大迷惑を歌い、場は白けたが会長は満足げだ。
違うけどおもしろいから許す
細川偉い
中村歌上手い
志水は下手だがツンデレ
細川はツンデレ好き
志水歌下手い
細川以下大合唱
OK