786 名前:既出なら御免[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 08:11:03 ID:DkMfgPLi
関が原合戦のとき、福島正則の配下であった可児才蔵ともう一人の若武者は主君正則に他部隊への使者を頼まれた。
竹束(鉄砲や矢を防ぐ置き盾のようなもの)の外を通ると危険だが早くつく。
反面、内を通ると安全だが遅い。血気にはやる若武者は外を通ったが、
一方、武勇で知られる可児才蔵は意外にも安全を期し内を通った。
もちろん若武者は早く現場に到着し、才蔵はそれに遅れた。
二人が合流したとき、反省したのは若武者だった。
若武者「才蔵殿は正しかった。外は敵の矢、鉄砲がすさまじく、己は運良く命拾いをしたに過ぎない」
これを受けて才蔵
「本当は自分も、早くたどり着く外を通りたかったが、
途中で撃ち殺されれば使者の役目を果たせなかっただろう。それでは軍律違反になるので控えた。
だが、もはや使者の用は終ったので、今は撃ち殺されても別に差し支えはない」
と言い、若武者が帰りは竹束の内を通ったのに対し、才蔵は悠々と竹束の外を通って帰った。
(武者物語より)
コメント一覧
才蔵は死んだ。
(武者物語より)
ってオチなら相当面白い
………そうだね
ワロタ
Wikipediaによると、
常々愛宕権現を信奉していた彼は周囲に「自分は愛宕権現の縁日の日に死ぬ」と“予言”していたが、果たして1613年の愛宕権現の縁日の日に、甲冑をつけ床几に腰掛けたまま死去したという
意味が無い気がするけどな。
当時は命より名誉の方が大切だから
軍律云々という言葉が命惜しさのただの言い訳でないことを証明する必要がある
帰りは少々負傷しても自陣にヌッ飛んで帰る方を優先したまでのこと