565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/27(土) 17:48:30.58 ID:1ki89kUV
三河一向一揆の最中のこと。永禄7年(1564)正月13日の早朝、上和田にあった家康方の大久保党は、その前日、
11,12日と一揆勢に押し寄せられたことに怒り、今度はこっちから押し寄せようと井内村まで下り
一揆の根拠地の一つ、針先の寺の近い浦地まで押し寄せると、一揆勢も同じようにそこまで
進出、双方鉄砲の打ち合いとなった。
この時大久保勢の大久保七郎右衛門忠世と一揆勢の本田彌三郎は正面で対峙し、互いに互いを鉄砲で狙う。
同時に発射!
と、彌三郎の弾は外れ、忠世の撃った弾は彌三郎の股をかすり、本田彌三郎、その場にうち倒れた。
が、浅手であったため味方に助け起こされ針崎の城内に引き入った。
こういった所に、針崎に籠っていた浄妙寺という一向宗の僧、これを見て進み出て、
重藤弓(全長170~180cmの世界最大級の長弓)を持ち、三河での説法で鍛えた声で
「しゃらくさく堀を越えて戦に来たお前たちに、我らが大軍の武者をこれ以上手負わせてなるものか!
私が相手をしてやる!」
と、片肌も脱がずに弓を引こうとした。
この姿がどうにも似合わず可笑しいもので、寄せ手の者たちこれを見て
「弓を射る作法も知らないとは、いらざる法師の腕立てかな!」
と声をかけるとこの浄妙寺
「法師だからといって、弓を射る作法を知らないということがあるか!」
と片肌脱ぎにした。『右肩』を。
はい。弓を射る時脱ぐのは左肩であるのが常識です。浄妙寺さん、やっちまったわけです。
これには敵だけでなく味方も、戦の手を止め声を上げてどっと笑ったそうである。
三河一向一揆の中の、ちょっと可笑しなエピソード
(三州一向宗乱記)
コメント一覧
僧がいたんですよ~
当たったら痛いし当たり所によっては死ぬからな
⑨
チルノさん、貴女より馬鹿な僧ではないのよ?