168 名前:本当にあった怖い名無し 2010/08/13(金) 21:19:06
子供の頃に見た年末時代劇「白虎隊」。小学校に上がる前なので記憶はおぼろげ。
戊辰戦争のとき幕府側について敗れた会津藩の中にあった少年中心の部隊で
途中で大人の隊長とはぐれ少年達だけで飢えと寒さの中(雨が降っていた)
一晩中戦い、必死に撤退する途中で城の方角から火の手が上がっているのを見て
自分達は負けたんだと思い込み集団自決。
しかし本当は城は落ちていなかった……というような話。
要約するとそんなだけど、特に後味悪かったのはある少年隊士の話。
彼の家は貧しく、入隊後軍服を作ってくれるよう母に頼んだら、皆は黒い
軍服を用意してきたのに、母が用意したのは緑色だった。
こんなの着られないと拒む彼に、母は平手打ちして泣きながら聞かせた。
この緑色なら茂みに隠れ敵に見つからず奥まで進める。
そうして敵の目をかいくぐり、首を取れるのだ。
母の心中を察した少年は、涙ながらに詫びて緑の軍服を着ることになるのだが
彼も飯盛山で自害して果てた。
他にも許婚と仮祝言挙げた少年が、城の方角から見えた煙を見て俺も後を追うと
自害したり、通りがかった農民に助けられた少年隊士が真相を聞いてなお死なせろと
号泣するシーンは本当にやるせない気分になれた。
コメント一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/白虎隊
白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。
中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。
幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊、幼少隊などがある。
白虎隊は本来は予備兵力であった。隊は士中隊、寄合隊、足軽隊から成り、充足数はおよそ340名程度とされた。
なお、装備していた火器は旧式銃(ヤゲール銃、ゲベール銃の短銃身化、前装装条銃)のみであったとされる。
これは火縄銃よりはましというレベルの装備であり、新政府軍の主力たる西南雄藩部隊の装備に対して著しく劣っていた。
[参考][解説]なしでも楽しめるコピペを投稿してほしいな
変な例えだけど、海外出張に行って
帰ってきたら日本沈没してたみたいな感じかなぁ
また白虎隊を知らない人はもとより、多少知ってるだけの人も解説があればより詳しく分かるし面白いと俺は思うよ
最近の教科書だと、戊辰戦争は端折られすぎてて
改革を進める政府に楯突くテロリストをぶっちらばした戦争、
くらいの記述しかないから、知らない中学生がいてもおかしくない。
ソースは俺の従兄弟の教科書。
ちなみに、西郷隆盛の事も浪人集めて九州で反乱起こして死んだ人、
くらいしか書いてなかった。
酒の場での話題が増えるぞ
ただしドヤ顔で話すのは無しだ
この投降者はよくもまぁのうのうとここに居座れるよな
神経疑うわ
いつも調べるに至らない不精者の俺。
白虎隊が到着すれば巻き返せるかもとか思う人いなかったのかね?