787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/12(土) 22:54:32 ID:PzZQvijq
日本のマルコポーロ有名なペトロ・岐部、彼の話はまだ出てこないようなので。
1584年に豊後の豪族、岐部家に生まれ有馬のセミナリオにてキリスト教神学を学ぶ。
1614年、幕府によってマカオに追放される。が、この地では日本での布教が
はなはだ困難と知った教会は彼らを見捨てる。
これからが彼の執念の物凄さ、マカオからゴアへ、司祭の叙階を受けられないと知ると歩いて
イラン、アラビア半島を陸路西に向かい、日本人として初めてエルサレムに巡礼を成す。
バチカンに向かい、イエズス会を驚かせるが司祭に叙階。
日本に帰りついたのは1630年、激しい弾圧の中をキリシタンの隠れ里を密かに訪ね訪ねの伝道。
1639年、ついに捕縛される。この時期、彼は幕府にとっての最過激カルト集団の親玉であったから、
将軍家光直々の詮議があった。また転ばせ屋のプロ、井上筑後守も悪魔のごとき甘言、或いは
必殺逆さ吊りで攻め立てるもギブアップせずに殉教。
「沈黙」のモデル、横で吊るされた管区長代理フェレイラ神父はあえなく棄教。
岐部はあっさりと去っていくフェレイラを散々に呪いつつ死んだとか。
790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 09:43:43 ID:goQl1g6w
岐部家は豊後海峡の水軍を司だった武門の家。豊後は大友宗麟の庇護下にキリスト教が盛んだったから、
彼のようなハードコアな人物が出てきたのであろう。
岐部自身は、かなり意固地で功名心にはやる人だったらし
くマカオやゴアではうとまれていたらしい。
一人で托鉢しながら砂漠を歩いて行ったとか。
伝説では、遥かな地、バチカンのイエズス会の文書の中に、
豊後での布教に尽くした己が父の名を見つけ、涙したとか。
以後、焦る気持ちを抑える冷静さ、統率力を身につけたらしい。
791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 10:38:15 ID:x/b+taMa
ペトロの殉教とフェレイラの棄教を知った海外の宣教師は発奮しカトリックの意地を見せるとばかりに日本に密入国しまくり殉教しまくったと聞いた
なんかブームの真っただ中に置かれてしまった日本のお役人の胃の明日はどっちだ
コメント一覧
とした場合、宗教は何がしたいのかわかんないわ
何がしたい、というよりは、どうあるべきかを追求した結果なんだろな。
いずれ朽ち果てる命には、後生の確約が無い。生命としての死の後に救済があるとすれば、それは魂をおいて他にはない
ゆえに今生は砂漠の蜃気楼であり、その地下水脈を流れる魂の本流に目を向けるようになる。
まぁ、ペトロ岐部はカスイってことだ。
こいつらは基地外テロリストなんだよなあ
しかもテロリストの自覚がないという...もう駆除するしかない
置いてきぼりを食わされてる五流大生に思えてくる……
あっさり見棄てるとか、キリスト教の「博愛」っていうのは
オウムの「素晴らしき世界の構築」に似てるなぁとは思った。
言ってることとやってることがもう。
敬虔なキリスト教信者ってキャラは嫌いじゃない
ついでに神父さんも
昔はわざと殺される信者がいたくらい
天草式おっぱいねーちんとかカレー教シエル先輩とか
そこはパライソですな
あまり個人主義の気風に馴染まない日本とか、社会制度や人権意識の整った先進国だと時代遅れ
逆に明確な教義と信仰を求める分、発展途上国なんかには一神教は向いている