北条夫人の最期

コピペ投稿者:名無しさん  投稿者ID:KUYPMw2h
コピペ投稿日時:
433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/14(土) 02:03:40.78 ID:AoiLY2l1
では、お言葉に甘えて、

北条夫人の最期(上)


北条氏康の6女とされる北条夫人は、長篠の戦いに敗れ劣勢に陥った武田家が、
外交関係を立て直すため北条氏との同盟を回復したのに伴い、天正5年に正室として武田勝頼に嫁いだ。
このとき勝頼31歳、北条夫人14歳。親子ほど年が離れた夫婦であるが、その仲は睦まじかったといわれる。
しかし、御館の乱における武田家首脳部による外交判断のミスにより、
北条夫人の実兄上杉景虎は上杉景勝に敗北し自害、北条家と武田家の同盟関係も破綻してしまった。
大名間の同盟に伴って相手国に嫁いだ姫は、
その同盟関係が破綻すると離縁して実家に戻るのが当時一般的であったが、
北条夫人は自らの意思で武田家に残ったといわれる。

そんな仲睦まじい勝頼夫妻にも最期の時が訪れる。
天正10年、織田信長の侵攻により、武田家の統治体制は瓦解、
本拠地韮崎の新府城を脱出し郡内岩殿城へ向かった勝頼主従は、
小山田信茂の裏切りに合い進退窮し、天目山の麓田野で自害することに決した。

勝頼は、ここまで付いてきた北条夫人に、安西伊賀守らを使いに出してこう伝言させた。
「武田家一門の命運は今日を限りとなりました。あなたは女性なのだから自害する必要はない。
 幸いここから小田原へは道も険しくないので、どんなことをしてもあなたを無事にご実家へ送り届けます。」
北条夫人はこれを聞いて、
「なんと嘆かわしいことをおっしゃるのでしょうか。前世の縁が浅くないからこそ、夫婦の契りは深いものなのです。
 たった一夜であっても、お互いのために命を捨てられるのが夫婦の仲なのに、
 私たちは契りを結んで今年で7年にもなります。
 たとえ小田原に落ち延びたとしても、あなたが末の露と消えてしまうのに、
 私だけが残っても何の意味もありません。
 元より夫婦は二世の契りと申します。ここで共に自害して、死出の山も三途の川も手に手を取って渡り、
 来世でも共にありたいと願うのが私の本心です。」
とおっしゃって、全く小田原へ落ち延びようとなさらない。
更に女官に向けて
「長い歳月、一人の子も出来なかったことを悲しんでおりました。
 神や仏に、子が出来ますようにと祈っておりましたが、今となっては、子がいなくて良かったと思っています。
 幼い子がいれば、大層思い悩むことになったでしょうから。」
と穏やかにおっしゃる様を見て、哀れに思わない者はいなかった。

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/14(土) 02:05:58.87 ID:AoiLY2l1
北条夫人の最期(中)


この時点で、北条夫人の供の者もあらかた逃げ失せており、
早野内匠助、劔持丹波守ら4名が残るばかりであった。
北条夫人は彼らを呼び寄せこうおっしゃった。
「皆が散り散りになるなか、貴方たちがここまで御供してくれたこと大変嬉しく思っております。
 ただ、後の弔いのため、何とかして手紙を小田原に届けたいのです。
 もし手紙を届けてくれれば、貴方達が最後まで御供してくれるよりどれほど嬉しいことでしょうか。」
しかし、早野らも
「妻子を捨て、ここまで御供したのは、姫の最期を見届けるためです。
 ここから小田原へ帰るなど断じて出来ません。」
と首肯しない。
これに対して北条夫人は、
「あなたたちを小田原へ返すのに格別の理由はありません。
 私は女ですので、私がどのような場所でどのように死んだかと、小田原の者達は気にするでしょうから、
 最後の様子をお知らせしておきたいのです。
 それと、北条家は代々武門の家ですので、女ながらも、見苦しい最後ではなかったと、皆へよく伝えてください。」
とおっしゃって、手紙をしたためて、髪を少し切り、手紙に添えて渡そうとなさったので、
早野らは力及ばず受け取るしかなかった。

そうこうしているうちに、勝頼より、北条夫人の御座所は鉄砲の射程距離に入っているので、
少し引いて岩陰に隠れてくださいと使いがあった。
しかし、北条夫人は
「身を惜しみ、命を惜しむときであれば、矢鉄砲から避けもしましょうが、
 一時も早く消えばや、と思っている身の私が、岩陰に隠れてどうするのです。」
とおっしゃって引こうとしなかった。
この思い切った様子に、女性にも関わらず誠に強健なお心をお持ちの方だと、
兵たちは一層勇気づけられ、最後の進軍をしたという。

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/14(土) 02:11:45.14 ID:AoiLY2l1
北条夫人の最期(下)


やがて、北条夫人は、正面で戦闘が始まったと聞くと、西に向かい念仏を高らかに唱え、
「勝頼様はどこにいらっしゃいますか。私は先に自害いたします。
 お急ぎください。お待ち申し上げております。」
というお声を最後の言葉にして、脇差を胸元に突き立て、
声も立てずに衣で顔隠して御倒れになった。

そのころ勝頼は、4、5人の敵と渡り合って戦っていたが、
秋山紀伊守より北条夫人が自害したと聞き、北条夫人の元へ引き返した。
勝頼は北条夫人の枕元へ立ち寄ると、衣を除けて顔をご覧になった。
北条夫人の雪のような肌は血に染まり、化粧も消えかけ、朝顔がしおれたような風情になっていた。
剛健で知られた勇将の勝頼も、悲しみのあまり北条夫人の顔を二目と見ることが出来ず、
涙に暮れ心乱れたのも無理がないことであったろう。
ややあって、涙を押さえて、北条夫人のお顔をかき抱くようにして自身の膝に乗せ、
北条夫人がまるで生きているかのようにこう語りかけた。
「不意にこの大乱が起きて、
 そうであってもなんとか反撃しようと思っていたが、結局立て直すことができなかったよ。
 それだけでも情けない思いをしていたのだが、
 最後にこのように涙に沈み切ってしまうほどの悲しみを味わうとは。
 暫く待っていてくれ。死出の三途の川を、手を取って共に渡ろうぞ。」
勝頼は北条夫人に突き立てられた柄まで赤く染まった脇差を抜き取ると、
その脇差で自身の腹を十文字にかき破り、
はらわたを掴んで四方へ投げ捨て、北条夫人と同じ枕に倒れ伏し絶命した。

なお、小田原への手紙を託された4名のうち、劔持丹波守は、一人も北条夫人のお供をしなければ、
あまりに聞こえが悪いとして、小田原へ帰らず田野で討死したとも伝わる。
小田原に遺髪と共に届けられた北条夫人の手紙には、以下の辞世の句が詠まれていた。

黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思に消ゆる 露の玉の緒

乱世に消えた彼女の「思」とは、勝頼への想いであったのだろうか。




以上、「甲乱記」より抜粋、雰囲気訳で。
北条夫人の最期は、理慶尼記に記載されたものもなかなか趣深いのだけれど、
仏教色が強すぎて、さらっと訳すと趣きがなくなるので、こちらを紹介しました。
長文失礼いたしました。
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コメント一覧

1  名前::2013/12/28(土) 00:36:33  ID:i1WbUhGw スマートフォンからの投稿
やばい目が滑る
10 イイ!コメント
2  名前::2013/12/28(土) 01:21:33  ID:TRH7MVDH 携帯からの投稿
勝頼本人の失策よりも、親父の残した負の遺産が大きすぎるよな、武田家は。
それだけに勝頼最後の逸話の数々はとりわけ悲哀の色が濃く感じる。
1 イイ!コメント
3  名前::2013/12/28(土) 10:11:43  ID:nJc89Hcc 携帯からの投稿
まさに悲劇のお姫様だな
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4  名前::2013/12/28(土) 17:48:49  ID:IruUAvAw 携帯からの投稿
哀しいが美しい
雄々しくも儚くもある
強い想いは残るものよ
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5  名前::2013/12/28(土) 20:12:51  ID:0Tl6AQOD スマートフォンからの投稿
せめて勝頼が到着するまで待ってやればよかったのに。
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6  名前::2014/01/06(月) 11:38:52  ID:kn+w4m1x PCからの投稿
女性の地位が低かったとされる戦国時代だが
夫婦仲が良ければ歳の差があろうが実家同士が険悪だろうが子沢山だし
夫婦仲が悪ければ実子が全くいなかったりするし(立花宗茂とか/ただし側室もいない)
それなりに女性側の「こいつと子作りするのやだ」という立場が尊重されてたりして面白い。
0 イイ!コメント
 

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