213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 19:44:21 ID:GVVwokCp
政略が成功してれば日本のハンニバルとか呼ばれたかもね。>さらさら越えなぜか佐々には怪異譚が多い。別に悪い話じゃないが、流れで書いておく。
さらさら越え最中の佐々一行、途中で小屋発見。
はて小屋なんてあったかなとおもいつつも寒さをしのぐために入ってみると
中に大男が二人。
まあ、挨拶しないわけにはいかない。自分らは佐々成政の一行である云々。
大男、答えて
「わしは悪七兵衛景清」
「わしは越中次郎兵衛盛嗣」
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 それって源平時代の人じゃん!
「いかにも。山中に潜伏し、機をうかがって鎌倉へ忍び込み、頼朝めの首を
挙げてやろうと……」
からかわれてるのか? 本当に平家の大将方だというなら証拠をみせろ!
そこで大男二人、小屋の外へ出て大きな雪の塊を持ち上げ、大声一喝、
谷に投げ飛ばした。
その瞬間、二人の姿は消えてしまったそうな。
コメント一覧
「証明しようがないから壁パンならぬ雪ポイして消えた」
と読むとなんかホッコリする。
北アルプス越えるとか
戦国時代、本能寺の変の後、織田家臣だった佐々成政は秀吉に押されていた
すでに同じ織田家臣の柴田勝家は秀吉に滅ぼされ単独で対抗するのは困難と思われた
秀吉に対抗しうる大名であった徳川家康が小牧長久手の戦いで秀吉に降ると佐々成政は直々に家康に再起を促すべく三河、現在の愛知県へ向かう事になる
しかし佐々成政の領地は現在の富山県あたりであり秀吉は西の福井県を抑え東の新潟県は敵対する上杉が抑えていたため主要な街道を使って愛知県の家康に会いに行く事は不可能であった
そこで佐々成政は山道、それもちょうど今の時期の冬の北アルプスを越えて家康に会いに行くという離れ業を駆使する事となった
これをさらさら越えという
冬の北アルプスを越えるのは普通に考えれば不可能だが佐々成政がこの時期に三河で家康と会談したとする当時の資料が残っておりさらさら越えは史実とされている
狐狸の仕業ということにしよう
満足して成仏
ということですかな
平らなのか盛ってるのかはっきりしてもらえる?