滅びし平家のうらみ、忘れたわけではあるまいなについたコメント

6  名前::2014/02/15(土) 03:39:25  ID:a2fXUPu/ 携帯からの投稿
さらさら越え
戦国時代、本能寺の変の後、織田家臣だった佐々成政は秀吉に押されていた
すでに同じ織田家臣の柴田勝家は秀吉に滅ぼされ単独で対抗するのは困難と思われた
秀吉に対抗しうる大名であった徳川家康が小牧長久手の戦いで秀吉に降ると佐々成政は直々に家康に再起を促すべく三河、現在の愛知県へ向かう事になる
しかし佐々成政の領地は現在の富山県あたりであり秀吉は西の福井県を抑え東の新潟県は敵対する上杉が抑えていたため主要な街道を使って愛知県の家康に会いに行く事は不可能であった
そこで佐々成政は山道、それもちょうど今の時期の冬の北アルプスを越えて家康に会いに行くという離れ業を駆使する事となった
これをさらさら越えという

冬の北アルプスを越えるのは普通に考えれば不可能だが佐々成政がこの時期に三河で家康と会談したとする当時の資料が残っておりさらさら越えは史実とされている
12 イイ!コメント
コピペに戻る