51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 22:45:53.89 ID:T4qMyPMW
その後の守銭奴上杉景勝の家臣・岡左内定俊は、主家の米沢転封後、その苦しい台所事情を思い上杉家を退転した。
武門名誉の家にあってなお勇名を馳せた左内は、たちまち諸大名から引く手あまたとなったが、左内自身は
「馴染みがあり申すゆえ」と、上杉家以前に仕えていた蒲生氏郷の子・秀行のもとに馳せ参じた。
秀行は、六十万石で会津に復帰すると、左内に知行一万石を与え、猪苗代城代の重職を任せた。
小大名並みの禄を手にするに至った左内だったが、相も変わらず憑かれたように金を貯めこみ、月に二、三度は
例の小判を敷き詰めた上に、素っ裸で寝転がる奇癖を繰り返す日々を送った。
秀行が亡くなり、忠郷の代になったころ、左内も床に伏せたきりになった。
『もはや、これまで』と思い定めた左内は忠郷とその弟・忠知に、「おかげを持ちまして蓄えることが出来申した。」
と書状を添え、忠郷には黄金三万両と正宗の太刀、忠知には三千両に景光の刀と貞宗の脇差を贈った。
残った金も、知人あてに五両・十両と包んで贈った左内の手元には、大きな鋏箱のみが残された。
「この箱は、いかがいたしましょう?」
「焼き捨てよ。上杉を去るに及んでも、やったことだ。世を去るに及んでも同じことよ。」
箱には、山のような借用証文が入っていた。
箱が炎の中に消え、最後の心残りが消えたのを見届けた左内は、静かに息を引き取った。
(増補武辺談他より)
コメント一覧
遺族には何かないんすかね??
だが成敗したくても、最近とんと仇に出会わぬ・・・何故じゃ?
実は二人の退院後のお金だったんだよ!
守銭奴とは少し違うだろ
欲張りやがめついはこれから手に入る金はできるだけ多く手に入れようとする(手に入れた後は普通に使う)というイメージで、ケチや吝嗇家は一旦手に入れた金はできるだけ出さない(または出しても絶対に回収する)ようなイメージ
守銭奴はどちらにも使えそうな言葉だから、彼は前者のタイプの守銭奴なんだろう
知らない方が幸せかなあと思うけど
ピッタリ遺言言えたらカッコ良いよな