175 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/07/09(木) 02:54:01 ID:sxKtz2pB
天正14年(1586)、豊臣秀吉は京の都に、大仏建立を計画した。さて、その大仏を乗せる石垣の隅石の運搬を、松坂少将、蒲生氏郷が担当することとなった。
大阪城の石垣を見れば解るが、秀吉はこう言うものは、大きいのが大好きだ。
この隅石も当然巨大で一辺の長さが一丈二、三尺、と言うから、およそ4メートルほどもある
巨石であった。
三井寺の山頂から大路までどうにか下ろした所で氏郷に、秀吉から、
「この先は難儀なので一旦ここで置く様に」との命があった。
この目的地まで半ばの地点で巨石を置いた事に、京童たちは狂歌などを詠んでこれをあざ笑った。
「中途半端な仕事しか出来ないやつめ」、と言う事であろうか。
これに氏郷は怒った。
はい、ここがポイントです。氏郷が怒ったのは、京童たちの揶揄に対してなのです。
「殿下の命など関係ない!引くぞ!!」
蒲生家中に総動員令が下された。
蒲生氏成は背に巨大な朱の丸、小挫藁の笠を着け、采配を持って木遣りの音頭をとる。
蒲生左文の家中中西喜内は笛を、蒲生四郎兵衛家中赤佐一蔵は太鼓を叩き、
さらに氏郷自身が巨石を引く綱を持ったため、蒲生家のものは近習、外様にかかわらず、
ことごとくこれを引いた。
ところが間の悪い男がいるもので、戸賀十兵衛の家臣の一人が、たまたま草履の尾が切れたため、
綱を引かず傍らに寄って草履を結わいていた。
これを見てしまった氏郷
「あいつをひっとらえて来い!!!」
そうしてたちまち捕えられ、引き出された、何が起こっているのかまだ理解できていない
この男を、即座に首刎ねた。
これにより皆斬首をおそれ、いっそう全力を出すようになった。
176 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/07/09(木) 02:54:48 ID:sxKtz2pB
それでも、最後の坂道の難所にかかり、石が中々動かない。ここで氏郷は姿かたちの美しく、声も美麗な傾城のお姉さんたち数十人を呼び、
華麗な紅の衣装で飾らせ、石の上に上らせ拍子をとり小唄を歌わせた。
これで皆はさらに奮い立ち、日の岡まで引き上げた。
だがそこから先の坂がどうにもきつく、皆疲れ果て全く動かなくなった。
この時である。
蒲生氏成が、石の上から跳んだ。「とおっ!」
そして道の側の田の中にまっさかさま。そこから起き上がってきた氏成、当然その姿は
頭から泥まみれ。これには一同、半時ほども大爆笑し、その変なテンションでついに巨石を
坂の上まで引き上げた。
途中で綱が切れて一人死んだ。だがそんなものは細かい事だ。
巨石はついに京の入り口、粟田口にその姿を現した。
さて、最初に言いましたね?「氏郷は京童に揶揄されたので、この巨石を引っ張ってきた」と。
それには一体どんな意味があったのか?
今までこのために苦労したのだ。彼は復讐を始めた。
氏郷と蒲生軍団、この粟田口から大仏殿予定地の方向に、道の有る無し関係なく、一直線に
進み始めたのだ。
このため進行方向の家屋、軒並み巨石に踏み倒された。彼らの後ろには、廃墟と新たに出来た
一本の道。男塾かお前らは。
このとき氏郷は石の上で、「我、かの狂歌の遺恨を報じたり」と、大変ご機嫌に
高笑いしていたそうである。
レオン様への、うかつな風刺は命取り。そんなお話。
コメント一覧
石垣もそうなの?
なんだろうな、自分の知識ひけらかして先生にでもなった気分なのかな
似たような失敗を自分もやったから、ちょっと同情。
草履切れて直してる奴が死んだり
綱が切れて一人死んだり
京都の町をぶっ壊したり
そもそも、これポイントどころかからかってきた相手に対して怒る、
という至極全うな反応だしな。で、結局その相手にも復讐したんだし、
ただそれだけの話。
なにがポイントなのかさっぱりわからん。
ただただキモい