16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。
それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。
記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。
今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。
でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。
吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。
でも、まさか、これほどのことになっているとは思いませんでした。
いらい、日々仕事に集中していても、
何か腹の底に溜まっているような気持ち悪い感覚があります。
不安なことや面倒なことを抱えているときのような。
よくよく考えたら、それは東北の地震のことだ、とわかりました。
悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。
ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。
震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、
大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。
ある教授はこういいました。
「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、
試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」
研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に
「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」と言って帰りました。
部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、
被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、
腹が立ったからだとわかりました。
記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、
他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、
記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。
自分が育った家がなくなったこと、
小さなころの写真が一枚もないこと、
家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、
大好きだった街が廃墟になってしまったこと、
そんなことは、もうなんとも思っていないのに。
私はこの地震で何も失っていない部外者です。
そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。
ただの「被災していない人」です。
被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。
政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。
「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。
まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。
次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、(被災地に送られてくる)千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。
そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。
安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。
※ネットによる安否確認は問題ないというご指摘をいただきました。完全に16年前の経験に基づいた記述ですので、不勉強でした。訂正させていただきます。
要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。
彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。
彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。
被災地に必要なのは、プロだけです。
私のところで学生のころ活動をし、
そのあと陸自の士官になった女の子が、きょうから災害派遣で被災地に行きました。
彼女は、明確に被災地に必要とされている人間です。
16年前の私に、人生を日本のために使うと決意させてくれた災害派遣の自衛官として、
彼女が岩手に行くことがとても誇らしいと同時に、
無力な自分の被災地に対する気持ちは、彼女に託すことにします。
被災地の復興と、自衛隊の活躍、そして、大切な友人である自衛官の無事の帰還を、
心から祈ることだけが、無力な私にできることです。
(※掲載以降ご指摘をいただいた点を2点カッコ書きと※印で修正させていただきました。)
それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。
記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。
今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。
でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。
吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。
でも、まさか、これほどのことになっているとは思いませんでした。
いらい、日々仕事に集中していても、
何か腹の底に溜まっているような気持ち悪い感覚があります。
不安なことや面倒なことを抱えているときのような。
よくよく考えたら、それは東北の地震のことだ、とわかりました。
悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。
ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。
震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、
大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。
ある教授はこういいました。
「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、
試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」
研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に
「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」と言って帰りました。
部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、
被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、
腹が立ったからだとわかりました。
記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、
他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、
記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。
自分が育った家がなくなったこと、
小さなころの写真が一枚もないこと、
家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、
大好きだった街が廃墟になってしまったこと、
そんなことは、もうなんとも思っていないのに。
私はこの地震で何も失っていない部外者です。
そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。
ただの「被災していない人」です。
被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。
政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。
「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。
まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。
次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、(被災地に送られてくる)千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。
そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。
安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。
※ネットによる安否確認は問題ないというご指摘をいただきました。完全に16年前の経験に基づいた記述ですので、不勉強でした。訂正させていただきます。
要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。
彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。
彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。
被災地に必要なのは、プロだけです。
私のところで学生のころ活動をし、
そのあと陸自の士官になった女の子が、きょうから災害派遣で被災地に行きました。
彼女は、明確に被災地に必要とされている人間です。
16年前の私に、人生を日本のために使うと決意させてくれた災害派遣の自衛官として、
彼女が岩手に行くことがとても誇らしいと同時に、
無力な自分の被災地に対する気持ちは、彼女に託すことにします。
被災地の復興と、自衛隊の活躍、そして、大切な友人である自衛官の無事の帰還を、
心から祈ることだけが、無力な私にできることです。
(※掲載以降ご指摘をいただいた点を2点カッコ書きと※印で修正させていただきました。)
コメント一覧
震災から何年の特別番組はいいけどよ、普通5年とか10年周期でやるだろ。
なんだよ、震災から3ヶ月→5カ月→1年と二ヶ月→2年3カ月…
って。ネタが無くて利用しまくりなのバレバレ
マスゴミ「風化させてはいけない。忘れてはいけない」 って言ってるがお前らはネタにしてるだけ、金儲けの道具にしてるだけ
君は何を見てたの…?
物凄く成程と思わされる文章だった…東北の震災の時中学生だったけど、せいぜい募金500円するくらいしか当時の私には出来なかったな…
高校出て働き出して元自衛官の人と職場が同じになった時、高知から派遣されたって話してくれたんだけど、それはもう大変だったそうだ。
統率の取れた自衛官、消防士、ボランティア長くやってる方などのプロに任せて、言われたらやる。
文にすれば随分と素っ気ないけど、きちんと考えればそれが一番なのかも知れない。
最近も自然災害多いし、私一人暮らしだからせめて自分が数日困らない程度には防災道具揃えようかな
文章構成能力に欠けるモンスター被災者の戯言じゃないのこれ?
被災地に観光気分で来る輩がクズなのは同意だけど、真剣に何かできることがないかと駆け付けた沢山の人間に対して(というかその気持ちに)なんの感謝も見られない
ベテランボランティアが初めからベテランだとでも思ってんの?
内容には概ね同意だけど、なんでこんなに上からしゃべってんだろうって思う
とかドヤ顔で語ってた意識高い系の主婦様は今どうしてるのかな。
フジTVの特ダネで追跡取材してくれないかなぁ?(笑)
気持ちだけならいらない。
勝手に押しかけて役に立たない上に気持ちには感謝しろって?
家流された人に? 家族亡くした人に?
どっちがモンスターだよ。
家に帰って大人しくしてろ。消防と警察と自衛隊に道を空けろ。
オレはボランティアとか行かないし行く気もないけど、何かしてもらったらありがとうって言うのが当たり前じゃないの?
当時の混乱の中でなら仕方ないけど、何年も経ってるのに、当時素人なりに一生懸命役に立とうとして瓦礫の撤去とか、家屋の掃除とか頑張った人間に対しても感謝の気持ちも持たず『プロじゃないならどいてろ』って言うのが被災者ならもう二度と募金とか絶対しないわ
※8
「行かないし行く気もない」ならいいじゃない
文章の書き方が似てると思っただけだけど?
人の揚げ足とってドヤ顔して幸せ?
あなたが被災しても絶対に助けたくないなあ。
あなたが率先して
誰も助けに来ないで!迷惑だから!金だけくれ!
とテレビが来たらいち早く叫びなよ。
阪神大震災で被災者にサンドイッチが配られるようになった頃に、生放送でオヤジが
こんなもんで力がでるか!とサンドイッチを殴りつけて叫び、その放送から阪神大震災への募金額が大幅に減ったが、あのオヤジが正しかったんだな。
関東大震災、南海トラフがいつ来てもおかしくないと言われる中、なんにも震災の備えすらしてないガキがえらそーに。
一部を見て判断しすぎ
ほんと※10の通りだわ
何の助けにもならない連中もいた事は想像にかたくない
けどそんな連中ばかりであったとはとても思えないし
プロじゃなきゃ助けに来るなってのもおかしいだろ
被災地には素人にもできる雑事だって山ほどあったはずだし
それとも被災地には陸自みたいなプロさえいれば全て解決できてたのか?
基本的にああいう非常の現場でずぶの素人はいらないよ
プロ、又はプロでないにせよそういう心得や知識経験のある人でないと
とてもじゃないが活動する事すらままならない。
被災地で素人が自力で衣食住を長期間に渡って維持できるかい?
2,3日で帰る位ならいっそ来ないでよろしいかと。
極論、仰る通りプロさえいれば解決出来るし、任せるべき。
どんだけ良くても「居ればまァ仕事任せるけど、居ないならそれに越したことは無い」レベル。
自衛隊が疲労知らずのロボットかなんかと思ってんの?
床上浸水の家から汚泥をスコップで掻き出す作業くらい専門知識なくても出来るし、※12も言ってるけどプロの力が必要な現場に案内することだって出来る
そういった所謂雑用まで専門家に頼りきりになると、本当に必要な時に疲弊して本来のパフォーマンスが発揮できなくなることくらい中学生にでもわかりそうだけど?
物見遊山で来てるお気楽連中と、全力で尽くしてるボランティアを一くくりで語ってんなカス
じゃあそこらじゅうにいるボランティア気取りのDQN連れて帰って下さい。それだけです
そんなに全力で尽くしたいんなら
物見遊山で来てるお気楽連中を全力で引きずって帰って。
だからその掻き出す素人が大量に被災地に居座る弊害があるって言ってるんだろ
そもそもそういう作業はある程度状況が落ち着いてからする事だろ
あちこち火の手が上がって助けを求める断末魔の中で家綺麗にするってか?
本当に必要な時に雑用なんかしてられんだろ
そもそも泥の掻き出しやった事ねえだろ
素人でも出来るとか簡単に言うけど、普段スコップ持たない人間が急にやれと言われて出来る作業量じゃねえぞ
被害や影響を受けておらず被災地に出入りできる近隣の業者に業務依頼出したり、
それでおっつかない場合に初めて自衛隊なりの組織主導でボランティアを募れば良い
何より人をカスだのそういう喧嘩腰で煽るのは非常によろしくない
iニニニi
/ ./ヽ_
/|農||/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
iニニニi
/ ./ヽ
|農||_
/|協||/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
iニニニi
/ ./ヽ
|農||
|協||
/|牛||/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
iニニニi
/ ./ヽ
|農||_
/|協||/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
iニニニi
/ ./ヽ_
/|農||/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お前本当になんも知らないで話してんだな
あちこちに火の手が上がってる状況の時はそもそも一般人は被災地に入れないからな
ボランティアが入れるのは緊急性がある程度落ち着いてからで、人命救助とかではなく片付けや、被災者のお世話としてだぞ
本気で何かをしたい人間は、現地で水や食料や寝床を調達とかあり得ない
グループなり個人でテントや携帯用の食料、水などを持ち込んで作業してるんだよ
その最中でも当然救出作業等は平行して行われてるから、負担できるところは適切な指導を受けたボランティアが、素人が出来ない、してはいけない作業は専門家に任せることでより円滑な復旧作業が出来るんだよ
もちろん全てがプロの手によって行われるのが理想に決まってる
ただ作業従事者は有限で、仕事は無限にある
プロだけじゃ賄いきれないことくらいわかんねーのかな?
ただでさえ心細くて仕方ない状況だもの
災害出動で自衛隊持ち上げるのはなんか違う気がする。本来任務の重さをごまかしてる。
よくわかりました
「金を落としてやる、施してやる感謝しろ死に損ないども」 って態度に出て現地住民不快させる観光客
もうね、来るなと。
まぁ被災側にもいるんだけどね、「被災者」といえば何でも許されると思ってる馬鹿が
人間の冷酷さとかすごくよくわかる文章なんだけど……
この文章を書いた人はずっと不幸なままでいたらいいなと
ちょっと思った。感情的に。
あのね、あなたが地球からいなくなる方が絶対にいいと思うの…。
ボランティア向けに福島のバス会社が
福島駅から南相馬行きの臨時バスを用意したとか、
全部気のせいだったのね〜
関西みたいに陸に囲まれた
(=興味本位で気軽に行ける)場所と
東北を一緒にしない方がいいんじゃない?
物見遊山だろうが本気だろうが要らなかった
と言うか、どんなに真面目にやってようが結局役に立たないからな…
どこまで行っても自己満足なんだよね、自分の意思で来てる人は
だからコメントみたいに「感謝もないのか?!もう二度と募金もしない!」となる
承認欲求だったり、自分のコンプレックス隠しだったり、現実逃避の口実にしてるだけ
漁港で必要なガソリンと経由調達しに行ったら、県外ナンバー並んでてな〜
トイレットペーパーと水買い占めたのも県外のトラックで来たツナギの集団だった
あれがコメントで言うボランティアのプロかね?
黙って募金しろ、しないならただ黙ってろ
今回は被災側だったが、俺は常にそうしてるし、感謝がなくても何の文句もない
情けは人の為ならず、自分のためにやってることだからな
>お前本当になんも知らないで話してんだな
机上の空論語っておいて見事なブーメランですな
今後、ボランティアを何とかする規則を国や県が作るならともかく、個人的な考えなら千差万別になるのは当然のこと。
不都合があったなら、阪神淡路大震災でなぜ問題定義して改善して活かせなかったんだろ?
今頃、問題提議ってこと?
問題提起、な
突然の受け入れられない事態に現実を否定する
第二段階 怒り
現実を認めざるを得なくなると怒りや恨みが沸き攻撃的になる
もうちょいしたら自分の都合通りに察しなかった相手に「こいつらが代わりに地震で死ねばよかったのに」といいだしますん
いや、働いてねえか
多少役に立っててもそれ以上に迷惑になってるなら(例えば被災地の水を飲むとか)同じく要らないでしょ
一体誰の為のボランティアか考えるべきじゃない?
雑用係がいるかいないかでプロジェクトの効率性が大幅に変わるのに、本職以外は要らないとかバカ丸出し
これは東日本大震災の二日後に書かれた文章です。
阪神大震災当時の無念な経験から来る「怒り」と、東日本大震災の被災者に同じ目に
あってほしくないという「危機感」から書かれたものでしょう。
実際、この記事によって防げた「ボランティア」による二次災害はかなりあったのでは
ないでしょうか。
東日本大震災、体育館避難所で起きたこと / 佐藤一男 / 防災士 | SYNODOS -シノドス-
http://synodos.jp/fukkou/14462
それでも例えば、上の記事に載っているように、少量の食料しか持ち込まない炊き出し隊が
避難所の食料の数日分を使い尽くす、といった愚かな事案が発生しています。
こういう、何年たっても忘れられない怒りを「ボランティア」が残していったことと
比べたら、人の「善意」を傷つけた、などという問題は比較になりません。
※48
この文章の著者は現職の兵庫県西宮市長ですが、人を使ったことがないと思いますか?
また、雑用に人が必要とおっしゃいますが、人が一人生きる資源すら入手が困難な
極限状況の話だと分かっていますか?
そのブーメラン、さぞかし賢くないと使えないんでしょうね…
私にはとても使いこなせそうにない
「プロジェクト」と「災害」を同列に語るのが残念ってことね
例えば、SIerがパッケージ導入する事と前提を比べてみると
・集団の倫理規定
・契約
・費用/期間/品質の数値化した目標と各バランス
・要件定義〜運用
・成果の明確化
・ノウハウとPDCA
・人員の品質
・命令系統
などなど…挙げればキリがないけど、全部前提が違うわけ
オフショア委託程度でも経験してれば分かりそうなもんだけど
こんな想定も出来ないってことは、せいぜい運用かコルセンのリーダーでしょ?
その程度の経験で「人を使う」とは随分大きく出たねw
もし、もっと経験があってそのコメントなら、尚更救いようがないけどね
プロジェクトって別にビジネスに限らず、目標達成のためのある程度の規模をもった計画や工程を指すんだけど、なんで災害復旧につかっちゃだめなの?
『プロジェクトリーダーになるために』みたいな本から抜粋したみたいな箇条書きになんの意味があるのか分からんけど、プロジェクトが大きければ大きいほど、下請けや委託の数が膨大になることもわかんない?
ってか現地で被災者のための水や食料、資材等を自らのために使用してる連中までもひっくるめて『ボランティアは頑張ってるんだ!』とか書いてるコメントなんてひとつも無いじゃん
それこそ前の地震で被災者の立場に有った人が、今回の現地でそんなことしてると思ってんの?
とにかく市長か何だか知らんけどこの人の書き込みはあまりにも断定的かつ狭い視野で書かれてて、文章も稚拙だし共感出来る部分があまりない
ましてや、行ってやったんだから感謝しろとか言う奴は論外
役に立ったか立ってないか、それだけ
手を替え品を替えて自己正当化にご執心ですな