362 :おさかなくわえた名無しさん:04/07/22 23:32 ID:YaVgS02l
うちの爺様は性格は大人しかったが酒豪。
南方で付いた部隊長は酒好きだったが、あいにく直属の士官連に酒飲みがいなかった。
飲める上等兵の祖父に白羽が立ち、隊長の従兵に抜擢。
温情家の隊長の下で仕事は軽く、夜になると好きな酒のお相手。肴付きで飲み放題。
サンゴ礁の島には米軍も来なくて「楽しかったぞ」、ってそんなんでええんか。
島には大した食い物もなかったが、マンゴーは死ぬほど成っていた。
調子に乗ってマンゴーぱくぱく食っていたせいで下痢が止まらなくなり、野戦病院送り。
検査した軍医に「おまい肺やられとるぞ」と唐突に言われる。
「病院船の氷川丸がこっちの泊地に回ってくる。それに乗って内地へ帰れ。
病状はうんと悪いことにしておいてやる」と、話のわかる(?)軍医もいたもので。
祖父の帰国直後に米軍の攻撃が激しくなり、平和だった島でも多くの戦死者が出たそうな。
内地の陸軍病院で療養してから招集を解かれたのもつかの間、
昭和20年8月に再招集を受けた。
覚悟を決めて兵営の前へ行ったが、同時に招集を受けたはずの連中が一人も見えない。
日暮れまで突っ立っていたら「お昼で戦争が終わりましたよ」と通行人に教えられた。
すごすご帰宅して数日後、「用事があるから」と親戚に連れられて隣村の家に行ったら
行き遅れた三十女が白無垢着て待っていて、いつの間にか婿にやられていたという。
戦中といい戦後といい呑気もいいところだが、この祖父は未だに元気でいる。
365: おさかなくわえた名無しさん:04/07/23 19:47 ID:mDVuxJhm
>「お昼で戦争が終わりましたよ」
ワロタ
コメント一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/氷川丸
日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。
北太平洋航路で長らく運航された。2013年時点では、横浜市で博物館船として公開されている。
1941年11月、日本海軍に徴用され、病院船として南太平洋海域にて活動。
戦時中の様子は1943年に制作された戦記映画『海軍病院船』(日本映画社制作・53分)で確認可能。
甘くて香りもフルーティーでさ
でもやっぱりあのみずみずしさが一番いいよな
少し噛むと甘い汁が滲み出てさ
ただまだ若い奴は結構青臭くて甘くないのが玉にキズ
それに当たると凄く残念な気分になる
もう死んでるんだろうな
生き地獄では済まない経験をした人もいれば、こういう人もいるわな
日暮れまで突っ立っていたら「お昼で戦争が終わりましたよ」と通行人に教えられた。これぞ究極の指示待ち人間
甘くて香りもフルーティって…
…いや、夢を壊すようなことは言うまい
イヤアアアアアアァァァァァァァァァァァァ
うるせぇぇぇぁあああっ!!!
この爺さんが彼岸に渡ったなら、あっちで隊長殿と酒を酌み交わすだろうさ
酒の肴になるような話にも事欠かないだろうしな
いや、だから孫がいるんだってば…っと、誰がが突っ込んでやらないと。
じわじわくるw
じわじわくる
「祖父は9歳の時に殺されました」みたいなw
山下公園にある、あの氷川丸なのか