450 :名無しさん@おーぷん:2015/07/07(火)12:46:46 ID:mKP
長久手スマノ。うちの両親は結婚がお互い30を過ぎてからで、当然俺が生まれたのも遅かった。
母親35歳、父親40歳の時の子だ。
なので幼稚園や小学校の頃、友達の若くて綺麗でピチピチしたお母さんが心底羨ましくて
父兄参観とかすごく嫌だった。
うちの母親は気だけは若いっていうか、明朗な人だったから
何かにつけジョークを交えて話しかけて来る。
それがまた余計に神経を逆なでする。
小さい頃はまだマシだったが、思春期を迎えた頃から母親のやる事なす事が嫌で嫌でたまらなかった。
俺は幼稚園からエスカレーターの国立だったから、回りはみんな当然のようにそのまま大学まで進学した。
けど俺は家を出たいという気持ちが強かったので他の大学に進学した。
まぁ、やりたいことがあったのも理由だったけど。
やっと一人暮らしというパラダイスを手に入れたものの、週1で母親がメールを入れて来る。
いちいちハートマークや音符を入れて来るのもウザい。
「やっほー、お母ちゃんだよー」「お便器?・・・もとい、お元気?」なんて文面にも腹が立つ。
どこで覚えたのか、amazonの箱にmを書き加えてるのを見た時には箱を思いっきり蹴飛ばしてしまった。
差し入れとか要らねーって言ってるのにどんどん送ってきて、鬱陶しいったらありゃしない。
昨年のこと、真夜中に父から電話があった。「今から○○日赤に来れるか?」と。
心不全。最悪もありうるから延命治療をどうするか救命医師に確認取られたって。
その時のこと、あんまよく覚えてない。何も考えずに反射的に財布を掴んでコンビニに直行。
金を下ろせるだけ下ろしてそのままタクシーに乗った。
大阪から名古屋まで高速走ってもらって確か8万近くかかったと思う。
到着したとき、お袋は容体がとりあえず安定してすやすや寝てた。
親父は真っ赤っかな目をして「おまえ、はえーな」と笑った。
その気配で目を覚ましたお袋が「あんた、どしたの」と呑気に聞いてきた。
「うっせえババア!あとでタクシー代返しやがれ!」と言おうとしたら
「うっ」の所でへたりこんで泣いてしまった。一生の不覚。
お袋は結局その後何も無かったかのように元気になった。
悔しいがホッとしている俺がいる。
コメント一覧
階段使えや。
ちげえwwwwww
一生後悔するとこであった
疎んじてても心底からは嫌いになれなかったんだろうな。
それが土壇場ではっきりした。
虐待母だったりしたらマジで死んでくれてラッキーとしか
思わなかった。
てゆーか付属高校から無試験で入れる国立大学はありません。
投稿者は知らなかったのですね。