436 :名無しさん@おーぷん : 2015/08/04(火)10:20:05 ID:d0J
戦時中にあった祖父の修羅場長男で公務員でもある消防士だから赤紙は来ないと思っていたら終戦前年の冬に召集
関西から九州へ送られて訓練を受け、中国へと送られた
しかし祖父が到着してしばらくすると終戦、大慌てで逃げ帰ることになった
その時にいた部隊長さんがとても立派な方で民間人が港へ逃げ切るまで守りたいと言った
祖父たちもその提案に大賛成、やりましょうと部隊長さんに従おうとした
部隊長は嬉しそうに笑ったあと、急に「ところで君たち、本土での職業はなにかね?」と祖父たちに訊ねた
疑問に思いつつも素直に元の職業を答える祖父たち
会社勤め、農家、商家、大工、警察官、消防士など様々いたらしい
全員分の元の職業を聞いた後、部隊長さんは何か考えて口を開いた
「大工と警官と消防士の君たち、民間人に付き添って船に乗って先に本土へ帰りなさい」
唖然とする祖父たちに部隊長さんは「君たちは今一番御国が必要とする人材だ」と言った
敗戦して焼け野原の御国には復興のために大工が必要、
混乱しているであろう治安を立て直す警察官と消防士も必要だからとのことだった
そして残りの人たちには申し訳ないが
自分と最後の民間人を港へ向かえるまで残ってくれと頭を下げたそうだ
部隊長さんに祖父たちは自分以外の大工や警察官や消防士もいるから残ると主張、
他の人も祖父たちの意思を汲んでくれと願い出た
でも部隊長さんは「頼む、御国のために行ってください」と深く頭を下げた
断れなくなった祖父たちは悔し泣きしながら部隊長たちと別れて
民間人の道中護衛をしながら港へ向かい船に乗って日本へ帰った
復員後、祖父は故郷の関西に帰って消防士と救急救命士の走りみたいな仕事に従事
一緒に帰った大工と警察官の人もそれぞれの職務に励んだそうだ
それでも祖父たちはあの時中国に残った人たちを気にして探していたんだが、
部隊長さん以外はほぼ復員できていたらしい
残った部隊長さんたちは祖父たちが復員した後も
中共だったかソ連だったかがやってくるギリギリまで民間人を港へ送り続けてた
でもさて自分たちも復員だとなった辺りで敵が近くまで来て、
部隊長さんは付いてきてくれた人を船に乗せるとその場に残った
士官の自分が投降したら民間人や君たちから奴らの目も逸れるだろうと言っていたらしい
結局そのまま部隊長さんはお帰りにならなかったそうだ
これが祖父の人生最大の悩みになって随分しんどい思いをしていた
あの時に部隊長さんと残っていたらという気持ち半分、
でも帰れなかったら子も孫も生まれてこなかったという気持ち半分
もうその部隊の戦友さんはほとんど亡くなって祖父ともう一人か二人だけだが、
毎年この時期はうちに集まって皆仏壇の前でじっと座っている
祖父たちは一生続く修羅場にいるんだろうなと最近思うようになった
コメント一覧
やればできるじゃないか!
何も良くなってなんかない、戦争の上辺だけで国を叩こうとする奴らばかりが増えている。
裸にひんむいて「ふんどしをはずせ!」と命令して公開センズリを
させるなど偏差値の低い運動部みたいなイメージが先行するけど、
民間人を必死に守ってくれた志の厚い人も大勢いたんだろうね。
このハゲセックスは、openさんとは言わないがkommさんあたりが
騙ってると思う。
どうしてそういう結になるんだ。デモしてる側もあの時の悲劇を繰り返さないようにという思いがあるだろうに。
頭腐ってる?
投げやりになったり茫然自失になったりするだろうに
すぐに国の再建や復興を見越して考えることができた
この部隊長さんは先見の明があったんだな
部隊長の判断で民間人を先に船に帰したっていうけど
制空制海権を失ってる状態で、どんな船を用立てて
どうやって帰したんだろう。
デモをすること自体に文句を言ってるわけじゃない。
式典のすぐそば、式典の最中にやるなって言ってんだよ。
被害にあった家族や友人を静かに悼みたい人、自らも被害にあって同じ過ちを繰り返して欲しくないという気持ちで参列してる人は大勢居るはずだ。
その人たちの心をないがしろにして「戦争は反対、核兵器を即廃止するべき」って声高に言うのは内容は違えどそういう人たちからしてみれば、同じように自分たちの平和への願いを壊す奴らと同じ。
時と場合と場所を選べって話だよ。
理解出来ない事を言われると相手を貶める脳しかないのかよお前
どこの式典でどの団体が?
これを察知したソ連は、日本に降参されると自分たちの取り分がなくなる、と思って
それまでの中立条約を破棄し、8/8に宣戦布告、これと前後して米が日本にダメ出しの原爆を8/6と8/9に投下、
日本は8/15に「戦闘を停止」する旨を全軍通達した=まだ終戦ではない
まだ戦争終わってねーしwとソ連が攻めてくるので、復員作業中もこのおじいさん方の様に防備を務める必要があった訳です。
で、日本は戦闘を止めた8/15が終戦の日としているが、他諸外国の多くは条約調印した9/2が終戦の日としている。
人は悲しいものですな。いつもこうやって、使命と己の為すべき事の狭間で揺れている
残る方も、戻る方も、それぞれの胸中如何ばかりか。
>日本は8/15に「戦闘を停止」する旨を全軍通達した
8/15に「現状維持」、8/16に「自衛以外の戦闘停止」を通達
この後8/22までには完全な戦闘停止命令が下り、連絡の行き届いてない部隊と連合国の間で小規模な戦闘はあったものの、
概ねこの頃には連合国側も下手なちょっかいをかけてこずに、日本は各地から本土へ戻る軍籍の船でそれぞれ復員作業にあたったと。
この間も攻めてたのがソ連で、そのどさくさで北方領土の領有を主張されて今に続くゴタゴタの発端となった訳です
デモをするときは国旗を掲げるのが世界標準だそうな。
国旗を掲げることで、正義は我にあり、国のことを考えているぞと主張している。
さて、8/6のデモで国旗を掲げている人はテレビに映っていたか?
式典の静寂さを妨害した彼らは本当に日本人なの?
家族だったんじゃないのか?張り子の虎となってた
関東軍に一般人まで保護し送り届けるのはどう考えても無理。
多くの人は逃げ遅れてしまい、第一次引上げ船が出港したのは1946年5月
になってから。