神君伊賀越え

コピペ投稿者:名無しさん  投稿者ID:m6H3rzjB
コピペ投稿日時:
241 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:08:24.01 ID:y9u1DvmK
さてさて天正10年(158582)、皆さんご存知、本能寺の変である

この時徳川家康は酒井左衛門尉忠次、植村右衛門佐ばかりがお伴して、堺を見物し、
これを茶屋四郎次郎が案内として付いていた。

そんな堺の家康のもとに、本多平八郎忠勝は本能寺の変を聞きつけるや否や直ぐ様
駆けつけた。

そこでは家康は「この少人数で三河まで引き上げるのは不可能だ。ここで切腹する!」
と決意していた。

ここに忠勝進み出て
「仰るように、どの道も本道は皆、敵中であると考えるべきでしょう、しかしながら
ここで殿が御自害なさる事ではござらぬ。間道を抜けてそこから山越しに伊賀路へと出れば、
別議なく帰国できます!」

しかし家康
「そうは言うが、我らは上方に不慣れな者ばかりである、どうやって敵の知らぬ間道を
通るというのか?」

「その段はそれがしにおまかせあれ!!!」
忠勝、朗らかにそう言うとどこかに走っていった。少しして帰ってきた。誰かを引きずって

「この辺りの村の庄官を捕らえてきました!!!」

突然の拉致にガタガタ震えている庄官に
「おい貴様!ここにおられる殿のご案内をいたせ!しかしもし騙すようなら…お前を即座にぶっ殺す!」
(悪しく導き奉らば、忽に打殺す)

信長や秀吉からも最高の武士として讃えられた男からのこの脅しである。庄官は半ば魂が抜けつつ清瀧まで
案内し、「こ、この先は解りません~」と泣きながら訴えた。


242 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:09:17.49 ID:y9u1DvmK
これを聞いて忠勝、「ふん、仕方がない」と庄官をあっさり開放。そして「ちょっと行ってきます」
「どこに?」と思ったらまた直ぐ戻ってきた。また誰かを引きずって

「この辺りの村の長を捕らえてきました!!!」

また誘拐である

「さあ我々を案内せよ!、もし(ry」
遂に木津川まで至った。と、川を渡る薪船を二艘発見!忠勝叫ぶ「おいそこの船!こっちに来い!!」

天下無双の勇士の呼びかけにこの二艘の船、当然ながら逃げ出した。

「ほほう、こちらに船を寄せない気か。そういう事なら考えがある。鉄砲ー!!!」

船に向かって射撃開始!「船を寄せねば鉄砲で撃ち沈める!」

船の者達当然ながら驚愕し、家康一行の前に船をつけると、家康は金銀を払い積荷の薪をすべて捨てさせ、
これに家康及び共の者達全員を乗せ対岸まで渡った。この時本多忠勝一人残り、対岸まで行った船が
帰ってくるのを待ってこれに乗り、向こう岸につくと同時に、かの名槍蜻蛉切の石突で、二艘の船艇を
突き破り、「これでよし!」と先に進んだ。

こうして井出の里にまで行き玉水において

「この辺りを案内できるものを捕らえてきました!!!」

何人目かの不幸な犠牲者のおかげで宇治田原まで着く。その先を尋ねると「み、水口越は難所であり、
敵がもし人数を置けばどうにも出来ません」と言うので、多羅尾谷まで進んだ。
ここで多羅尾の何某と言う者が家康の到来を大いに喜び、我が館に是非入ってくださいと言ってきた。
しかるに酒井ら、当然ながらこれを疑い、「我々は今敵中にいるのだ。人の心も計りがたい。
いかにするべきか…」と悩んでいた所、忠勝は

「堺を出てから今日までの間に、我らはもはや、腰兵糧の他何もありません。至極難儀の時であります。
ここで多羅尾にもし殿に対する逆心があるのなら、彼の家に入らなくても我々を逃すことはありません。
何故ならこの様に疲れきった我々では、思うように働くことが難しいからです。

ならば多羅尾の折角の馳走を受けて、かの家で腰を懸けて、人馬の息を休めるべきでしょう。
なあに、万一多羅尾の態度が思わしくないものであれば、私が奴を捕らえてどうとでもしてやりますよ!」

これに一同「尤もだ」と、特に最期の一節に納得しこの家に入ると、彼は無二の持て成しをし、
これにより家康一行、疲れから回復することが出来た。家康は多羅尾に礼として自らの刀を与えた。

ここより伊賀越をし、ここで服部半蔵支配の甲賀者たちが家康のもとに参上し身辺を守り、そのため
難なく伊勢浦に到着し、ここより船に乗って三河へと御帰陣された。
(武野燭談)

神君伊賀越え、本多忠勝大暴れの一席である
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コメント一覧

1  名前::2016/02/10(水) 19:10:21  ID:jDP6W8Jt スマートフォンからの投稿
自分より明らかに弱い者相手に、武力に物言わせて無茶通すクソ野郎ってとこまで読んだ
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2  名前::2016/02/10(水) 19:34:18  ID:uWsWfNKA PCからの投稿
すごい未来の話してると思ったら1582年だったでござる
18 イイ!コメント
3  名前::2016/02/10(水) 19:59:33  ID:l5hV8XFH スマートフォンからの投稿
自分の為じゃなくて一国の主の命がかかってるんだからクソではないだろ。
12 イイ!コメント
4  名前::2016/02/10(水) 20:11:51  ID:IkFpEg3u スマートフォンからの投稿
先週ちょうど伊賀越えしてたな。真田丸で。
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5  名前::2016/02/10(水) 20:25:58  ID:g4ghuMkR PCからの投稿
まあ藤岡弘に凄まれたら嫌とは言えんだろう
12 イイ!コメント
6  名前::2016/02/10(水) 20:33:26  ID:XW32DA+c スマートフォンからの投稿
これは面白いな!藤岡弘、しか思い浮かばないわ
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7  名前::2016/02/10(水) 22:19:15  ID:tfmplUtQ 携帯からの投稿
服部半蔵って伊賀じゃないの?
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8  名前::2016/02/10(水) 22:37:53  ID:e3V9nlye スマートフォンからの投稿
みんな結構大河観てんのな
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9  名前::2016/02/10(水) 22:44:34  ID:yNberL9v 携帯からの投稿
多羅尾某=近江国甲賀の豪族多羅尾四郎兵衛光俊(道可入道)
いわゆる甲賀五十三家の一人。実際は服部半蔵の事前の呼び掛け工作に応じ
家康一行を守るために待機していた。
本文に出てくる「半蔵配下の甲賀衆」もこうした事前の根回しに応じた連中。
伊賀甲賀は山ひとつ挟んだ隣同士で縁組もあり親しかった。

※1
歴史好き()は自分を武将や武士だと思ってるから、こういう話が大好き。
間違っても殺されかける民草に思いを馳せたり同情したりしない。
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10  名前::2016/02/10(水) 23:51:43  ID:ynclwLqY スマートフォンからの投稿
バサラのせいで忠勝がガンダムにしか想像できない。
「忠勝ぅー!助けてくれ忠勝ー!」っていう家康には爆笑したわ。
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11  名前::2016/02/11(木) 00:02:21  ID:h/QQNYSx PCからの投稿
決死の三河武士と戦って勝ったら100万円もらえる
でもここで戦わずもてなしたら10万円もらえて追加御褒美もあるかも
さてどっちがいい?…って聞かれたら
余計な怪我したくなけりゃ絶対後者一択なんだよなあ
懐柔工作有能
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12  名前::2016/02/11(木) 00:36:03  ID:fgivKUYb PCからの投稿
そもそも年貢と言う名のみかじめ料ふんだくる公式ヤクザだからな
戦国時代なんかは大した為政もしてないからなおさらその色合いが濃い
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13  名前::2016/02/11(木) 03:08:56  ID:PSFLtIuz スマートフォンからの投稿
絶対に笑ってはいけない伊賀越え
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14  名前::2016/02/11(木) 10:51:16  ID:ePt8ajNs スマートフォンからの投稿
大河じゃなくて歴史秘話ヒストリアで見たけどこんな事してたのかよ
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15  名前::2016/02/12(金) 22:34:41  ID:o//DeCGY 携帯からの投稿
最低だな。だから戦国とか武士とか大嫌い。
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16  名前::2020/03/12(木) 20:41:30  ID:5acOD/ta スマートフォンからの投稿
↑百姓の子孫乙
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