時代は第二次世界大戦前にさかのぼる。
アメリカ・ニューヨーク州ブルックリンのヒックスストリートにある203消防分署には、ニップという消防犬がいた。
1935年2月2日、ニップは8度目になる英雄的な救助活動をやってのけた。
その時ニップは12歳。
6年間にわたり消防団と共に経験を積んできたベテラン犬だが、唯一苦手なのが猫だった。
だが困っている猫がそこにいるのなら、ニックは命がけで救助にあたる。
まだ燃えている建物の中に突入し1匹の子猫を口にくわえて運び出し消防士に託すと、
また建物の中に戻っていき、更にもう1匹の子猫を救い出したのだ。
消防士のシェンクとカールトンと共に、ほとんどの救助活動を行っていたニップは、
この日、いつもの猫嫌いを封印して自分の職務を果たした。
自分が持つスキルを全て駆使して、火災現場のビル内を捜索し、
火事場に取り残されていた2匹の子猫を救い出したのだ。
当時の報道によると、金曜の夜、203分署はユニオンストリート161にある3階建てのレンガビルからの消火要請に出動した。
このビルの1階は文房具屋が入っていて、上の階はアパートになっていた。
(この建物は、ブルックリンクイーンズ高速道路が建設されたときに取り壊された)
消防隊が到着したとき、近所の人の話によると、アパートの住民は全員無事に逃げて、建物の中には誰もいないということだった。
しかし、ニップは人間よりずっと優れた自分の鼻を信じて、
まだ燃えている地下へと猛ダッシュで突っ込んでいった。
煙に巻かれそうになりながらも、4分後、ニップは一匹の子猫をくわえて地下から戻ってきた。
そしてその子猫を隊長のジョン・プファンの足元に置くと、
なにかを訴えるように吠え、また地下へと戻って行った。
再び姿を現したとき、ニップはもう一匹の子猫を口にくわえていた。
獣医はすぐにニックの火傷の状態を診ようとしたがそれを拒んだ。
ニップは子猫たちを体を舐め、きれいにしてやり、
その後子猫たちが消防士に保護されるのを見届けてから、やっと自分の治療を受けたという。
火傷の薬を塗ってもらった後もニップは仕事を続けようとしたそうだ。
その後、現場から帰ってから、ニップは骨髄がたっぷりついた大きな骨をご褒美にもらった。
消防署で働いていた間、ニップは破損したガラスや落ちてきた瓦礫や熱湯などで、
数えきれないほど負傷した。
消防車から落ちて怪我をしたこともある。
その代わり、夏の間にロングアイランドに住む消防士の家で過ごして、楽しいときを過ごすこともあった。
ニップはすべての鐘の音や合図の音を聞き分けることができ、
どの信号が緊急要請に応えるものか正確にわかっていて、間違えることはなかった。
火災現場では、消防士たちの活躍を監督し、なにか間違っていれば警告したりもした。
ニップの勇敢で英雄的行為は数知れない。
火事が起これば、人間の消防士たちと一緒に出動し、真っ先に消防車から飛び降りて、
燃え盛る建物の中に率先して飛び込んでいっては、逃げ遅れた人がいないか探す。
人間(または猫)を見つければ、懸命に吠えて、消防士たちがかけつけるのを待つのだ。
1936年、2匹の子猫を助けてから1年後、ニップはその勇敢な行為を表彰され、4つの団体から4つのメダルを受けた。
1939年、ニップは16歳となった。
高齢ではあるが、まだあと数年は元気に活躍できるはずだったが、その終わりは突然やってきた。
11月9日、消防署の前で遊んでいたとき、車に轢き逃げされてされてしまったのだ。
ニップは自力でなんとか消防署の中にはいずって戻り、
消防車の座席に飛び乗ろうとしたが、力尽きてステップのところで息絶えた。
ニップのこれまでの勇敢な働きをたたえるために、203分署の消防士たちは、唯一無二の宝である彼の剥製を作らせた。
ニップの剥製は、1974年に203分署が解散するまで、署内に大事に置かれていた。
実はニップは本当の名前ではないそうだ。
新聞記事のほとんどは、ニップのことを"ニガー"あるいは"ニグ"と呼んでいた。
“ニッパー”と言われていたこともある。
ちなみに、ニューヨーク消防博物館では"チーフ"と呼ばれていたという。
アメリカ・ニューヨーク州ブルックリンのヒックスストリートにある203消防分署には、ニップという消防犬がいた。
1935年2月2日、ニップは8度目になる英雄的な救助活動をやってのけた。
その時ニップは12歳。
6年間にわたり消防団と共に経験を積んできたベテラン犬だが、唯一苦手なのが猫だった。
だが困っている猫がそこにいるのなら、ニックは命がけで救助にあたる。
まだ燃えている建物の中に突入し1匹の子猫を口にくわえて運び出し消防士に託すと、
また建物の中に戻っていき、更にもう1匹の子猫を救い出したのだ。
消防士のシェンクとカールトンと共に、ほとんどの救助活動を行っていたニップは、
この日、いつもの猫嫌いを封印して自分の職務を果たした。
自分が持つスキルを全て駆使して、火災現場のビル内を捜索し、
火事場に取り残されていた2匹の子猫を救い出したのだ。
当時の報道によると、金曜の夜、203分署はユニオンストリート161にある3階建てのレンガビルからの消火要請に出動した。
このビルの1階は文房具屋が入っていて、上の階はアパートになっていた。
(この建物は、ブルックリンクイーンズ高速道路が建設されたときに取り壊された)
消防隊が到着したとき、近所の人の話によると、アパートの住民は全員無事に逃げて、建物の中には誰もいないということだった。
しかし、ニップは人間よりずっと優れた自分の鼻を信じて、
まだ燃えている地下へと猛ダッシュで突っ込んでいった。
煙に巻かれそうになりながらも、4分後、ニップは一匹の子猫をくわえて地下から戻ってきた。
そしてその子猫を隊長のジョン・プファンの足元に置くと、
なにかを訴えるように吠え、また地下へと戻って行った。
再び姿を現したとき、ニップはもう一匹の子猫を口にくわえていた。
獣医はすぐにニックの火傷の状態を診ようとしたがそれを拒んだ。
ニップは子猫たちを体を舐め、きれいにしてやり、
その後子猫たちが消防士に保護されるのを見届けてから、やっと自分の治療を受けたという。
火傷の薬を塗ってもらった後もニップは仕事を続けようとしたそうだ。
その後、現場から帰ってから、ニップは骨髄がたっぷりついた大きな骨をご褒美にもらった。
消防署で働いていた間、ニップは破損したガラスや落ちてきた瓦礫や熱湯などで、
数えきれないほど負傷した。
消防車から落ちて怪我をしたこともある。
その代わり、夏の間にロングアイランドに住む消防士の家で過ごして、楽しいときを過ごすこともあった。
ニップはすべての鐘の音や合図の音を聞き分けることができ、
どの信号が緊急要請に応えるものか正確にわかっていて、間違えることはなかった。
火災現場では、消防士たちの活躍を監督し、なにか間違っていれば警告したりもした。
ニップの勇敢で英雄的行為は数知れない。
火事が起これば、人間の消防士たちと一緒に出動し、真っ先に消防車から飛び降りて、
燃え盛る建物の中に率先して飛び込んでいっては、逃げ遅れた人がいないか探す。
人間(または猫)を見つければ、懸命に吠えて、消防士たちがかけつけるのを待つのだ。
1936年、2匹の子猫を助けてから1年後、ニップはその勇敢な行為を表彰され、4つの団体から4つのメダルを受けた。
1939年、ニップは16歳となった。
高齢ではあるが、まだあと数年は元気に活躍できるはずだったが、その終わりは突然やってきた。
11月9日、消防署の前で遊んでいたとき、車に轢き逃げされてされてしまったのだ。
ニップは自力でなんとか消防署の中にはいずって戻り、
消防車の座席に飛び乗ろうとしたが、力尽きてステップのところで息絶えた。
ニップのこれまでの勇敢な働きをたたえるために、203分署の消防士たちは、唯一無二の宝である彼の剥製を作らせた。
ニップの剥製は、1974年に203分署が解散するまで、署内に大事に置かれていた。
実はニップは本当の名前ではないそうだ。
新聞記事のほとんどは、ニップのことを"ニガー"あるいは"ニグ"と呼んでいた。
“ニッパー”と言われていたこともある。
ちなみに、ニューヨーク消防博物館では"チーフ"と呼ばれていたという。
コメント一覧
現在は、ニューヨーク消防博物館に展示されている。
https://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/5/2/52fdbb23.jpg
いっそこのワンさんに日本の総理大臣やっていただきたかった。
たしかにアベさんは英雄だよね!布マスクとか超似合ってるし!!
皮肉かw
国民や外国のほとんどは、安倍のことを"アベノマスク"と呼んでいた。
“アベノミクス”と言われていたこともある。
ちなみに、ニューヨーク消防博物館では"マコトニイカン""ツヨクヒナン"と呼ばれていたという。
だが困っている猫がそこにいるのなら、アベノマスクは命がけで救助にあたる。
まだ燃えている建物の中に突入し1匹の子猫にマスク2枚を被せて手ぶらで帰ってくる
また建物の中に戻っていき、更にもう1匹の子猫にマスク2枚を被せて帰ってきたのだ。
消防士のアベノマスク夫人と共に、ほとんどの救助活動(?)を行っていたアベノマスクは、
この日、いつもの猫嫌いを封印して自分の職務を果たした。
自分が持つマスクを全て駆使して、火災現場のビル内を捜索し、
火事場に取り残されていた2匹の子猫にマスク2枚被せたのだ。
多数の国民から賎業扱いされるんだが平気か?