240:おさかなくわえた名無しさん :2009/04/11(土) 21:07:51 ID:HY2znITs [sage]
今日、思いだしたので投下。12~13年前に我が家に着たアメ留学生が「侍」マニアで日本大好きな大学生だった。
結構、日本語も達者で家にいる時は冬なのに自前の浴衣を着る人だった。
夕食の時、太平洋戦争の話になって浴衣外人が特攻隊について
「特攻隊の人は死にたかったんじゃなくて親、兄弟を守るため死ぬのは嫌だったけど死を選んだんですよね」
って質問してきた。
家族全員、どう答えていいかわからず黙っていたら、祖父が、
「嫌だの死を選択したのだのとかじゃないんだよ。命をどう使うか考えた末の事なんだよ」
と浴衣外人に話した。
あまり、口数が多くない祖父だったし、記憶が定かではないけど、
ほとんど家にホームステーイに着たアメ留学生とも会話してなかったが祖父の言動にちょっと戸惑ったけど、
何かを感じたのかごはん食べながら泣いていて、次の日から帰るまで、祖父べったりになった。
俺はちょっと嫉妬したけど、帰る間際に親日を誇っていた彼が
「日本の心に少し近づいたような気がします」
と言い残して帰って行った。
その浴衣外人から祖父の命日に毎年はがきが来て、祖父が言った言葉をつたない日本語で書いてくる。
「命はどう使うかが大切」
この文章が一昨日届いた。
胸が熱くなったので投下した。反省はしない。
コメント一覧
君のは一生未使用だから安心せよ
せめて排尿くらいには…
特攻を発案した人間は、何の責任も取らず普通に生き残っていたそうだし。
一緒に特攻したり、終戦後に特攻したり、自決したりした人もいる一方で、
戦後は台湾や韓国にわたって普通に生活した、という人もいた。
ただ、普通に、というのはあくまで傍から見た場合。
実際は良心の呵責に苛まれたんじゃないかなとも思う。思いたい。
その人の正に命を賭けた選択を、後から必要なかっただの言うのはどうだろう。
結果はどうあれ、日本の為に戦ってくれた人達に俺は感謝してるよ。
作戦立案の責任を取るため
だそうです。
ちゅうしょう→なぜか変換できない
しょうしょう→少将
非常に申し訳なく思いながらもマジレスするけど
中将はちゅうじょうじゃないの?
全ての特攻隊員が彼のようであったとまでは言わないが
苦しまなければならないからって介錯なしで
死ねと命令する者にも苦しみはあるんだと思う
べつに米9じゃないんだけどずっとちゅうしょうだと思ってた!
個別に変換してた!ちゅうじょうだ!ありがとう!
逆に、みんなは、命についてどう考えてるんだ。
平和な時代に生まれていれば、焦らずに沢山の選択肢から選ぶことができたのにな
惜しいことをしたな
自由過ぎるのは、どうにも恐ろしい…
信念があると、暗闇を照らす光に成り得るかもね。
ほんとアメ公は調子いいな
戦争しなければ済む話しなのに