徳川 家康(とくがわ いえやす)
コピペ投稿者:名無しさん
コピペ投稿日時:2009/07/28 04:15
コピペ投稿日時:2009/07/28 04:15
鷹狩に出かけた家康は、喉の渇きを癒そうと寺に立ち寄った。
寺はみすぼらしく、屋根や土壁は破れ放題であった。
見かねた家康は
「なぜ寺の修繕をしないのか?」
と住職にたずねた。
住職は答えた。
「寺の修繕となれば、この辺りの農民に負担を掛けます。
貧しい農民達の心の拠り所の寺が、彼らを苦しめる事は出来ません。」
感心した家康が寄進を申し出ると、
「我が寺のみ将軍様から目をかけていただいては、他の寺社から妬まれます。
お気遣いご無用でございます。」
家康は寺を立ち去る際、小姓を集め命令した。
「お前達、遠慮はいらぬ。暴れ回ってこの寺を存分に打ち壊せ!」
将軍家康の命令に小姓達は逆らう事も無く、寺を散々に打ち壊した。
数日後、途方に暮れる住職に家康から書状と金が届けられた。
書状には
「先日、小姓達が暴れて寺を壊してしまって申し訳ない。
ついては謝罪金を送るので、壊れた寺を修繕して欲しい。」
将軍の寄進と言えば妬まれるが、弁償と言えば角が立たない。
寺は立派に建て替えられ、住職も農民達も家康の心遣いに涙して感謝した。
寺はみすぼらしく、屋根や土壁は破れ放題であった。
見かねた家康は
「なぜ寺の修繕をしないのか?」
と住職にたずねた。
住職は答えた。
「寺の修繕となれば、この辺りの農民に負担を掛けます。
貧しい農民達の心の拠り所の寺が、彼らを苦しめる事は出来ません。」
感心した家康が寄進を申し出ると、
「我が寺のみ将軍様から目をかけていただいては、他の寺社から妬まれます。
お気遣いご無用でございます。」
家康は寺を立ち去る際、小姓を集め命令した。
「お前達、遠慮はいらぬ。暴れ回ってこの寺を存分に打ち壊せ!」
将軍家康の命令に小姓達は逆らう事も無く、寺を散々に打ち壊した。
数日後、途方に暮れる住職に家康から書状と金が届けられた。
書状には
「先日、小姓達が暴れて寺を壊してしまって申し訳ない。
ついては謝罪金を送るので、壊れた寺を修繕して欲しい。」
将軍の寄進と言えば妬まれるが、弁償と言えば角が立たない。
寺は立派に建て替えられ、住職も農民達も家康の心遣いに涙して感謝した。
コメント一覧
徹夜明けの頭で見てたら、電車内で気持ち悪い笑い方しちまったじゃねーか。
形ある建造物だけが歴史じゃないさ。
そういうこといいたかったんじゃないだろ。城がおとせないからって、城の外堀をうめるという卑劣な手口を使う行為に腹がたったんじゃないか?
一度篭城戦で勝利した後に、今後篭城戦をさせないために外堀を埋めたんだし、卑劣でもなんでもないと思うが…
大阪城が完成したときに家康達大名を引き連れて自慢しまくってたんだけど、その時に
「この城を落としたいなら何十年かかけて兵糧攻めにするか、一回攻撃して和睦して外濠埋めて(ry」
って言ったらしい。
大阪の役の後で、家来が家康の作戦を褒めたら、
「あれは秀吉が教えてくれたもの。俺は覚えていただけ。」
と言ったとか・・・
まあ長々と何が言いたかったかっていうと、※21に家康の印象を改めてほしかっただけです。あの作戦は城を作った本人が考えたもので、家康さんは悪くないんです。
なんかほんとごめん。
日本史専攻なら尚更、そういう外交上の駆け引きを卑劣と思う感性はおかしいと思わんかね。
針……
『大坂 冬の陣』で和睦する祭、家康は『一の濠を埋める』なら和睦に応じると約束し、豊臣勢はその条件を呑み冬の陣は終結する。
しかし家康は、『一の濠』だけでなく『二の濠』まで埋めて、大坂城を丸裸にしてしまう。
それに対し、豊臣勢は約束が違うと『二の濠』を掘り起こし始めたが、家康はそれを『豊臣謀反』と称し、二回戦となる『大坂 夏の陣』が開戦した。
一回戦の冬の陣にしても、関ヶ原の合戦にしても、気にくわない相手を潰す為に、家康が難癖つけて喧嘩を売っている。
何が言いたいかと云うと、
家康は最凶のDQNだって事!
ボロでも思い入れのある大切なものってあるよね
住職だって心労で倒れたかけただろうし
ただ良い話と拍手する気にはならんな。
むしろ胸糞
普通に良い話だよ。
なぜ胸糞なんだ?
お前は誰かに涙を流して感謝してもらったことあるか?
うちの親は俺が部屋から出たら泣いてたよ
お前にヤスの何がわかる