れいわ新撰組を応援してくれてありがとうについたコメント

5  名前::2020/07/22(水) 19:32:11  ID:JlfaRuRk PCからの投稿
※4
そもそも人権の範囲とは、どこからどこまでなのか。
憲法に記されているような精神的自由・経済的自由・
健康で文化的な最低限度の生活を送れること……で
定義としては間違ってないと思うけど、それぞれに
それこそ人間の数だけ解釈があるだろうから難しい。
唯一断言できるのは、人権の行使に関して、誰もが
他者との譲り合いを考えなくてはいけないってこと。

俺がもし大学のすんごい権限を持った学長だとする。
精神的自由の一環として俺は俺の煩悩を満足させる
権利がある!と主張し、幸いにも権限あるからって、
当校の体育会柔道部・剣道部・空手部の男子学生は
全員構内においてふんどしひとつの裸で過ごすこと、
さらに1年生は始業時刻近くの午前9時から10分間、
正門前でふんどしをはずし裸踊りと公開センズリを
行うこと! さらに上記三部の男子学生と指導者は、
年間通じて1着のみの道着使用が許可され、洗濯は
固く禁ズ!という規定を作成したら、それは確実に
他者の「人権」の侵害であり、唾棄されるべきだ。

だが今の世の中、情報流通システムの肥大化により
誰もが意見発信の主体となり得てしまう状況のなか、
はっきり言って人々は謙虚さを喪失してるんだよね。
じゃあネット普及前の人類が謙虚だったかと言えば
そんなことないけど、現代人は「自分の意見を大勢に
知らしめることができる」という認識(または誤解)ゆえ、
ずうずうしさに行動力が伴っているというか。むろん
ずうずうしくなることは必ずしも悪ではないんだけど、
法律や規範の解釈に際して、全体として「自己都合」の
占める部分が大きくなっている、そんな社会だと思う。

(続く)
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