ロッカーで取材を受ける野茂についたコメント

10  名前::2013/08/12(月) 19:35:02  ID:jO/Ck3iL PCからの投稿
似た話

長崎商館長(カピタン)が江戸参府の際(1826年)、北斎に日本人男女の一生を描いた絵、2巻を150金で依頼した。
そして随行の医師シーボルトも同じ2巻150金で依頼した。
北斎は承諾し数日間で仕上げ彼らの旅館に納めに行った。
商館長は契約通り150金を支払い受け取ったが、シーボルトの方は
「商館長と違って薄給であり、同じようには謝礼できない。半値75金でどうか」
と渋った。
北斎は
「なぜ最初に言わないのか。同じ絵でも彩色を変えて75金でも仕上げられた。」
とすこし憤った。
シーボルトは
「それならば1巻を買う」
というと、通常の絵師ならそれで納めるところだが、
激貧にもかかわらず北斎は憤慨して2巻とも持ち帰ってきた。
当時一緒に暮らしていた妻も、
「丹精込めてお描きでしょうが、このモチーフの絵ではよそでは売れない。
損とわかっても売らなければ、また貧苦を重ねるのは当たり前ではないか。」
と諌めた。
北斎はじっとしばらく黙っていたが
「自分も困窮するのはわかっている。そうすれば自分の損失は軽くなるだろう。
しかし外国人に日本人は人をみて値段を変えると思われることになる。」
と答えた。

通訳官がこれを聞き、商館長に伝えたところ、恥じ入って直ちに追加の150金を支払い2巻を受け取った。
この後長崎から年に数100枚の依頼があり本国に輸出された。
42 イイ!コメント
コピペに戻る