1988年2月6日午前11時40分ごろ、大阪府堺市のフードショップ営業者の妻(当時36)は、店先に落ちていた15万円入りの銀行の封筒を持ち、徒歩1分ほどの槙塚台派出所に出向いた。
派出所には若い警官がいた。警官に封筒を渡すと、警官はすでに届出が出ていると返事し、主婦の名前、年齢、連絡先を走り書きして返した。拾得物受理の書類は作られなかった。
主婦はおかしいなと思いながらも、すでに届出が出ているからいいのかと思い直した。警官は立ったまま対応し、顔を見せようとしなかった。
落とし主の男性(当時66)は翌日に封筒を落としたことに気付き、夕方ごろ槙塚台派出所に口頭で届け出た。通常ならそこで終わる簡単な話だった。
9日、男性はもしやと思いフードショップに立ち寄り、そこにいた女子店員から落ちていた封筒を派出所に持っていったことを知る。
男性は派出所に回ったが、そこにいた巡査は遺失物届けを受理しただけだった。そのことを聞いた主婦はどうなっているのかと堺南署へ電話を入れた。
ところが応対した会計課員は、拾ったという届出を受け取っていないという。会計課員に説得され、主婦は派出所へ向かい、警官の顔を見ることにした。
派出所にいたのは二十代の若い警官、五十過ぎの警察官と、三十前後の警察官だった。三十前後の警察官はおどおどした様子で、ヘルメットをかぶったままだった。
主婦は首をひねり、体格はこの人に似ているが顔はわからないと答えた。派出所は正式に遺失物届けを受理する。主婦は、あの警察官がネコババしたかもしれない。
しかしまだ若いので内密に済ませられればと考えていた。
同じ日の夕方、主婦は警察から呼び出しがかかる。主婦は夫とともに、槙塚台の隣にある泉が丘派出所に出向く。
主婦は一時間ばかり、質問攻めに会う。まるで犯人扱いされているみたいだと思いながら。
12日、堺南署の若い刑事が迎えに来た。主婦は外出しており、夫が槙塚台派出所に出向いた。
そこにいた40過ぎの部長刑事は、白っぽい封筒の切れ端が入ったビニール袋を見せ、これがフードショップの敷地内から出てきたという。
さらに主婦が出向いた時間帯には派出所に警察官がいなかったと言った。夫はここではっきりと悟る。警察官がネコババしたのをこちらに押し付けているんだと。
そしてこのとき、ネコババをしたN巡査は奥で調書を書いていた。
同日夕方、若い
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