織田信長の南蛮甲胄について (No.11114 と併せて)
転載元:戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
コピペ投稿者:名無しさん
投稿者ID:MEgJCugn
コピペ投稿日時:2011/11/12 19:23
コピペ投稿日時:2011/11/12 19:23
81 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/31(土) 17:48:53 ID:thkOfZjX
信長と言えば南蛮甲冑のイメージを外すことは出来ないですね。しかし、文献上で日本に南蛮甲冑が輸入されたという年は、1588年です。
着用の確実な遺品もありますが、腹巻形式ですので、イメージ的にはちょっとあわないでしょう。
ただし、大河「天地人」で信長がかぶってる南蛮兜の元ネタはあります。
信雄直系の天童藩に伝わった南蛮道具足です。現在は岐阜市歴史博物館に所蔵されています。
実物の写真はありませんが、これですね。
ttp://www.yonezawa-naoe.com/images/information/odakesyou.pdf
ttp://www.yonezawa-naoe.com/images/information/odake1.jpg
画像
そして、そのイメージ作成は、既に江戸時代からはじまっていました。
信雄が南蛮兜を作って子孫に伝える
↓
兜しかないのは物足りないよね
↓
じゃ、兜と釣り合った鎧を作っちゃえばいいんじゃね?(これが江戸後期)
↓
立派な南蛮胴できたー!
↓
そういや信長公といえば南蛮趣味だよね
↓
これは最初から信長公のものですが何か?
織田家はかつての天下人の家系として、江戸城中の席次も高かったのですが、不祥事から大幅に
待遇を落とされてしまいました。しかも領地も北方の山形県になり、家中の不満を押さえるために
すがったのが、信長の威光でした。この南蛮具足をでっち上げた時期は、天童へ国替えの時期と
一致します。
移った後も貧乏で大騒ぎでしたが、そこではじめた内職の将棋駒が現在も天童の代表的産業です。
82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/31(土) 19:05:41 ID:IoC9IFvQ
>>81こういう流れなんだ。ありがとう、良く理解できた。
コメント一覧
「No.11114 と併せて(キリッ」
ここに怒ってんだぞ
ナメるなよ呆け投稿者
怒ってるのはお前だけだ
他のコピペも読まないと楽しめないなら投稿しなくていいよ
派手好きと新しいもん好きって性格に舶来品というピッタリなもんが来ちゃっただけで
人種とか気にしてないんじゃない?
そういや漂着した黒人さん雇ってなかったっけ?
ハルバードで何度抜いたことか