377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/09(木) 23:20:03 ID:7l5IqVQc
島津の軍陣天正十年十一月、日向宮崎の国人、上井覚兼は島津氏の命を受け、肥後の八代に出陣した。
その彼の、着陣してからの日記
十一日:八代に到着。大将、島津忠平殿の元に挨拶。
十二日:伊集院忠棟殿が着陣された。共に島津家久殿の宿舎に招かれ、一日中宴会
十三日:島津忠平殿の宿所で会議。すると使者に出ていた者達も帰ってきて、会議後そのまま宴会
十四日:朝、伊集院忠棟、肝付兼寛殿らが上井の宿舎にやってきて、そのまま宴会。
夜、忠棟殿から風呂に誘われ、そのまま又宴会。
十六日:島津忠平殿の宿所で会議。会議が終わると又宴会。石原と言う武士が狂言を舞った。面白かった。
十七日:忠棟殿と肝付殿の宿舎に行き、昼間から宴会。途中で会議に呼び出される。一部の軍勢を有馬に
出発させることが決まる。会議の後宴会。
十八日:忠平、家久御兄弟と忠棟殿の宿舎に行く。宴会。一日中飲み明かす。
幸若与十郎というプロの芸人が呼ばれていて一曲舞った。気が利いている。
石原と言う武士がまた狂言を舞った。あいつは踊ってばっかりだ。
この後年明けの正月11日まで着陣していたが、ずっとこの調子だったりするw
島津の陣では戦場での強さ以上に、肝臓の強さが必要だった、と言うお話。
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