843 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2015/08/09(日)11:33:41 ID:nvP
自分の自我というか人格の定義が人と違うことに気付いたこと。虐待家庭で育って病んでるのは承知だったし、
十代から通院服薬もしていて、色んなことが解決しつつあると思ってた。
先日ふとした話のきっかけで、「普通、自分は一人しかいない」と知って驚いた。
私は毎朝自分の中にあるドアを選んで役割分担的にどの自分を出すかを決めるし、
疲れたり辛いことがあったら今のドアの私は帰って違うドアから出してくる。
トイレみたいな個室や鏡があるとやりやすい。
脳内イメージとしては大きなホテルに私がいっぱい住んでて、
開きやすい部屋も開かない部屋もあるんだけど、
基本部屋の住人の出入りはフロントを通すから全部把握出来てる、みたいな。
よく会話に出てくる、気持ちを切り替えていこうよ!みたいな話とかって、
そういう出入りの作業を指す比喩表現だと思ってた。
仕事モードとかオフモードとかいうのも、同じく皆それぞれのドアを開け閉めしてるんだと思ってた。
それは違うと思う、と言われて衝撃。
変だと思ってないから誰かに相談したこともなかったし、会話のネタにしたこともなかったんだよね。
三十数年生きてきたけど、これを知るべきだったのかどうかに今は悩んでいる。
844 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2015/08/09(日)12:48:24 ID:gis
真面目に考えすぎじゃね?誰かが人と違うのは当たり前のことだ。
家庭ごとに違うところもあるし、親族ごとに違うところもあるし、
地域ごと、世代ごと、いろいろ違う習慣・常識がある。
食習慣を見てみなよ。
同じ名前でも千差万別、地域ごとに全然違う料理を同じ名前で食べていたりする。
世の中そんなもんだ。
違うってことを大層な問題として受け止める必要はないだろう。
30超してるなら「みんな違って、みんないい」ってやつを実感として覚えていいと思うよ。
「普通」なんて一世代&隣県出身になった途端、大幅に変わったりするもんだからね。