347 :名無しさん@おーぷん :2015/09/16(水)07:54:55 ID:xdf
双子の姉がひき逃げされてから人生が滅茶苦茶になりました。
私は妹の方。一卵性だからよく知っている人間でもない限り見分けがつかなかった。
高校に入ってすぐ姉が部活帰りにひき逃げされた。普段は自転車通学をしていた姉だが、その日は雨の日で親が車で迎えに来るのを校門から少し離れた場所で待っていた。
幸い発見が早く命は助かったけど、入院生活が続いた姉は留年した。犯人は捕まらなかった。
双子だから当然同じ学年だったけど、私が二年に進級したころ姉は不登校になった。部屋に閉じこもったまま泣きわめいて部屋を荒し八つ当たりするようになった。その時罵倒の対象になるのが決まって二年に進級した私で、自分だけ二年に進級したことが申し訳なかった。
母や兄に妹子も留年してやればよかったと言われたことも私のなかでは修羅場。
結局姉は中退。一日中部屋に閉じこもって過ごしていた。
このころから姉はリストカットを繰り返すようになった。最初は私も心配したが、次第にそれが姉のかわいそうな自分を演出するためのパフォーマンスだと気づいた。
三年になって、私は大学進学を希望していたけれど相変わらず引きこもりの姉が私の進学を快く思うはずもなく、ひき逃げに遭って以来姉を溺愛するようになった母と二人がかりで家庭内イジメが始まった。
食事に洗剤混ぜられたり、腐った物を弁当に詰められたり。私の部屋やクローゼットにわざと生ゴミを置いたりしてくれたおかげで私や衣服には腐ったにおいが染み付いた。
そんな部屋で過ごしているので、自分のにおいがイヤで毎日早朝に家を出ては銭湯に行ってから学校に通うようになったけれど、それでも制服についたにおいがとれなくて学校でもイジメを受けるようになった。
受験を控え、連日課外授業を受けていた私に17時門限を強いて、守れるわけもなく連日門限破りの罰と称して体罰をされた。
ストレスで夏休みに入る前には元は50kg台の体重が35kgになっていた。頭にハゲがいくつもできた。
父は仕事仕事で家におらず、電話をしても「忙しい」の一言で切られる。兄は無関心。救いはどこからもなかった。
何もかも嫌になって、姉が何度目になるかわからないなんちゃってリストカットをした日、私は腐ったにおいが充満する自分の部屋で本気リストカットをした。
普通の女の子の握力では手首を切っても大した出血にならないらしい。実際姉のリストカットは薄皮を切る程度ですぐに後も消える。
ただ、私は姉が事故に遭ってすぐに辞めさせられたが、バレー部だったので握力が男の子並みにあった。バスケットボールを片手でつかんで振り回すくらいのことは簡単にできた。
私は見事に動脈をぶった切ったらしい。発見したのが元医療従事者の祖父母でなければたぶん本懐を遂げただろう。神経をやったらしく、私の右手は今でも動かない。(左利きです)
母方の祖父母は遠方に住んでいて、その日は偶々姉を心配して夫婦で訪ねて来ていた。家の中で孤立していた私は知らなかったが。
もっとも私は168cmあるので、35kgはいつ死んでもおかしくないレベルだ。今思えばリストカットをしていなくてもそう遠くないうちに倒れていただろう。
祖父母が私を救急車で病院に運んだ。病室で意識が戻った時、もう何もかもがどうでもよかったので私は何一つ反応らしい反応をしなかった。
精神病院に放り込まれた。正直そのころのことは曖昧でよく覚えていない。覚えていることといえば、ああ平和だな~ってぼんやり思ったことと、面会日に祖父母が来てくれたことだ。
頭がはっきりしたのはそれから随分経ってからだ。医師の適切な治療もあって、35kgまで落ち込んだ私の体重が40kg台になった頃だと思う。
祖父母が面会に来てくれた日に当然ばああああっと、姉がひき逃げされた日から手首を切るまでの日々が頭に浮かんだ。泣き叫んで暴れた。
祖父母は私が家でどういう立場にいたのか知っていた。そのときは知らなかったが、私の戸籍は実家からすでに抜かれ祖父母の養子になっていた。祖父母は母と絶縁し、行き場のない私を拾い上げてくれていたのだ。
348 :名無しさん@おーぷん :2015/09/16(水)08:01:18 ID:xdf
精神病院を出た時私は20歳になっていて、祖父母の地元で静養しながらいくつかの受験をして22歳で大学に進学した。
卒業するまで祖父母のところにご厄介になった。
お節介な親戚からの情報で、両親の離婚と姉がなぜかAV女優になっていると聞いたがこのまま二度と関わらないでくれればそれだけでよかった。親戚情報でタチの悪い男に引っかかったとか、借金の返済に追われているとも聞いたが、正確なところはわからない。
私は大学在学中に顔の整形をした。
費用は祖父母から借りた。自分で作るつもりでスナックで働いていたものの、昔気質の祖父の猛反対もあって辞めた。
スナック勤め以前に整形そのものに反対したが、鏡を見るたびに姉を嫌でも思い出すのでどうしても整形したかった。
借りたお金は、大学を卒業して社会人として働くようになったら月賦で払うと借用書を書いた。数年で完遂したが、結婚したときに子供に使うよう全部返された。
夫は私が整形していることも、右手が不自由になった理由を含めて何もかもを承知のうえで結婚してくれたが数年で破綻した。姉に寝取られた。
呆然としたが、私以上に義母が怒り狂った。実の息子を包丁で刺し殺しかねなかったので私のほうが必死に止めていた。右手が使えないことをこのときほど悔やんだことはない。
同時に、整形していてよかったと遅まきながら思った。AVの世界で活躍されている方々には申し訳ないが、自分とまったく同じ顔の女が複数の男と乱 交したりアンアン言ってる映像が世に流れているのだ。もし整形していなければたまったものではない。
後日ネットで確認したら引退と書いてあったが、一度世間に流れた映像は消えない。
私の元夫は姉の現夫だ。元夫がどういう流れで姉と関係を持つようになったのかはわからないが、姉が略奪に走った動機なら何となくわかる。私のものは何でも取り上げなければ気が済まないのだ。
祖父母は亡くなる時、私と伯父(母兄)にのみ遺産を遺し、縁を切ったあの家のひとたちにはまったく遺していなかったのでそれも一因かもしれない。
プロのお姉さんの色気に血迷った元夫からいわゆるロミオメールやSOSが届くので携帯を変えた。
子供もいないし、医療従事者だった祖父母は堅実に暮らしていた人達で私がのんびり暮らしていけるだけのゆとりをくれた。私自身の給料もある。
義母があんなのよりもっといい男を捕まえろと言うけれど、もう結婚はいい。
姉がよく金の無心にきたので、住み慣れた町を離れて遠方に引っ越した。義母さんと距離ができてしまったのが残念だが、ようやく身辺が落ち着いて穏やかな日常を送れるようになった。今は猫とうさぎと同居中だ。
死にぞこないが一つ言えるとしたら、手首を切っても人間は死なないということ。痛いだけですめばいいけれど、私のように一生不便な生活を余儀なくされる場合もあるのでリストカットはやめておいたほうがいい。